「『星の王子様』を読み直して 」
noteを書けと知り合いに言われたが、秋B終わるまでは何かを新規で書くことは出来なさそうなので過去書いたものを放出しようかと思う。
まずは高校の卒業文集(中高一貫校だったので実質6年間の集大成)の文章でも放出しようかと思う。
当然逆張り大好き人間なので普通の卒業文集は書きたくない。
けど逆張り過ぎてヘンなのは書きたくない。
そして当時の俺が考えたのは「読書感想文を書く」ことであった。
個人的に良い文章だと思うので載せようと思う。
『星の王子様』を読み直して
(注:哲学的ゾンビの本名)
『星の王子様』は私のとても好きな本の一つだ。この本に出会ったのは確か中学生の時だった。何かの拍子に読んだのだがその時、「大人にこそ読んで欲しい子ども向けの本」という書評も聞いていたのでたまに読み返した時にどのように感じるようになるか楽しみにしていた。
そのあと何回か思い返しては読むということをしていた。そうするとある事に気づいた。「確かに本の読み方が変わってしまった」と。昔はただの物語として楽しんでいた。星々を旅する間に出会う人達について面白おかしいと思ったり「花」は意地っ張りだなと思ったり。しかしある時から「これってこういう比喩だったんだ」とか、「これってこういうことが言いたいからこんな名言が生まれたのか」などと考えるようになってしまった。極めつきは地球の人の数についての記述で今までは「なるほど」で済ましていたのに今は「本当かな、計算しようかな」と思いながら次の文章を読んで、計算したら自分を失ってしまう感じがして計算しないようにしている。
私は勉強はできないので嫌いだが科目自体は好きだ。現代文も好きだが、その弊害だろうか、物事を現代文で習った思想に沿って見てしまうようになり、本もその対象の一つになってしまった。この現象は何も現代文だけでない。百人一首や英語の歌詞は音の一種ではなく言語として聞き取れるし、ボールを投げる時には二次関数で最高点がわかるし、焼いた肉の良い香りを嗅ぐ度にこれは適量の硫化水素を算が感知したからだと考えてしまう。
知る事は良い事だ。がそれと同時に世界の認識の仕方を変えてしまう。もう恐竜が火を吐くとは思わない。奈良研修での日光月光菩薩への感動は次見た時変わるだろうし、友達と過ごした日々についてはもう思い出とそれを思い返した時に感じることしか残ってない。もう中高というとても微妙で多感な時期は過ぎ大人へなりそうだ。
星の王子さまはその時の自分がどうなのかを映す鏡だ。
自画自賛する。良い文章だと思う。卒業文集に載せるべき文章であり、本のあらすじだけまとめるみたいな読書感想文になっていないし、そして程ほどの逆張り精神が効いている(6年間学んで卒業するときに書く文章が「学ぶことは何かを失うことでもある」とまとめるわけであるので。)。
強いて言うならば最後2つの段落がとても急ぎ足だなぁと思う。
字数制限があったので仕方ない。書く内容が多かったのかもしれない。
けど俺が読み直す分には何を言っているのかわかるので良い。(独りよがりであるとか言わない!)
まぁ、4年経っても意図を覚えているが、4年後覚えているかわからないのでわかる範囲で書き記しておく。
3段落目はそのままである。硫化水素の話は化学の授業の時に印象に残った話だから入れたはずである。そして、現代文、古典、社会(百人一首で日本史)、英語、化学は入れたので、物理と数学を一気に入れるためにボールの話は入れた。(共通テストの科目を意識している気がする。し、ボールの話とか、めっちゃ数1Aに出てきそう())
4段落目は俺が常々言っている、子供の頃の3大勘違いの話がまず入っている。
・恐竜キングというゲームの影響でティラノサウルスは火を噴き、トリケラトプスは雷を出すと思っていた。(恐竜キングの前にやっていたゲームだと恐竜は特殊能力なかったのになぁ……。)
・気球は水素を入れてて、地上に帰還するときは気球についている穴をあけるもんだと思っていた。(昔はそうだったやつもあるらしいけど。)
・地球儀や地図は顕微鏡や虫眼鏡で見たら町が再現されていると思っていた。(今のGoogleEarthのはしりである)
知識がある今、そんなことは決して思わない。けれども、子供の頃のこのような突飛な発想が羨ましい。今の俺にはない。
奈良研修というのは、中3で修学旅行に行った時の物である。俺が一番好きな仏像は聖観世音菩薩像なのだが、どうして日光月光菩薩を例に挙げているのだろうか……。まぁ、この二つの仏像も大好きである。
あと2つは中高のまとめの文章だから入れた感じの文章でしょう。
最後の段落はそのままである。
『星の王子様』を読むことによってその時々の考え方がわかるのであろう、って意味合いである。
さて。問題は今である。
これを書いたのが4年前である。
結論から言うと、『星の王子様』をここ数年(少なくともここ2年は)読んでいない。そもそも本をあまり読まなくなってしまった。
過去の俺はまさか鏡を見なくなるだなんて考えもしなかったであろう。
そして未だに俺は大人になれず、子供のように生きている。
全てが卒業文集の時の想定と違う生き方をしている。
……あ、次回のnoteは恐らく高2の音楽の授業で書いた、t+pazoliteの布教の文章を引っ張ってこようと思います。