人生は綱渡りだよ
あまり自分のことや過去のことを子供に多くは語らない私の父が言った言葉です。あまりに気に入ったんでしょう。何度かこのフレーズを聞きました。
高校時代は、若干の反抗期(?)思春期(?)で父を遠ざけていたと思います。父は単身赴任で、週末だけ帰ってくるような生活をしたので、家にいるのは毎週土曜日のお昼から日曜日のお昼ごろまで。私も毎日部活で忙しく、週末だって午前練習を終えて家に着くのは14時ちょっと前。父がいる土曜日ならちょうど吉本新喜劇の終盤、ヤクザが登場している頃でした。もちろん家族はとっくにお昼ご飯を食べ終えていました。そもそも、家で父とゆっくりしゃべる機会がほとんど無かったんだと思います。
うって変わって大学生になってからは、時間にかなりゆとりがありました。もちろん忙しくするときもあったけど、土曜日のお昼に父と母と家でお昼ご飯を食べることが増えました。
お昼ごはんは、なんとなく、しゃべりやすい感じがする。時間の制約が無い気がして、話が弾んで、食卓を離れたくなくなる。母が豆から挽いたコーヒーを飲むのこの時間がお気に入りです。
そんな土曜のお昼に、父から出た言葉でした。「人生は綱渡りだよ」。
なんとか、ぎりぎり、運にも味方してもらって、今、普通に、幸せに生活できている。昔あの時、違う選択をしていたら、今とはだいぶ違う、それも苦しい方に違っていただろう、と思うことがあったようだ。
ふーん、綱渡りね、、。深いかも。
大学生になってから、学生だけじゃなく、社会人など、少し年上の方ともお話させていただく機会が増えたと思う。素敵な大人がたくさんいるな、こういう大人に私もなりたい、と思わせてくれる方がたくさんいた。父のこともそんな風に見ることができるようになった。語らないだけで、いろんなことを乗り越えて、家族を養って、プライドをもって楽しんで仕事をしてきたんだろうな。
私も成長した(老けた?)のかもしれない。
でも、なんとなくずっとモヤモヤしてて。このフレーズが心の中でずっと木霊してた。
綱渡りって表現、私は嫌だ。そう思った。
一度踏み外したら、ゲームオーバーみたいに聞こえる。
びくびく、そーっと、渡らされているように聞こえる。
父がそういうニュアンスを込めて言っているのかどうかは分からないけど。
日本人っぽいな、と思った。彼が生きてきた日本の社会を表しているのかもしれない。人と違う道をたどるのにはかなりの勇気とリスクさえ伴う。学校に行かなかったら、大学に進学しなかったら、失業したら、犯罪歴がついたら、ゲームオーバーみたいな空気。
(もちろん他人を傷つけたり悲しませたりするのはいけないという前提で)失敗することがあったっていいじゃん。失敗したってやり直せる社会になったらいいな。自分の失敗が、将来の子供の代にまで迷惑をかけない社会になったらいいな。今住んでいるデンマーク社会が、それに近いんじゃないかって思っていて。それで、そんな社会で私は、自分の選んだ道を、堂々と歩きたいな。
…こんなの、まだ社会を知らない20歳そこそこの戯言だって思われるかもしれないけど、それはそれでまあいいや。
時代はたぶん、すごいスピードで変わっているんだと思う。親と同じ考え方ができなくたって、きっと当たり前。だからこそ、きっとこれからもぶつかるんだろうな。でもその時は、ちゃんとぶつかって、自分の思いを伝えないとな。