君を知らなければこんな想いを知らずに生きた 第四話
「天木さんとどうこうなろうなんて生意気言ってすみませんでした!」
ラミネートされたメニューが置かれた机に、清田が勢いよく頭を突っ伏す。その横のレイトは、彼の肩をバシバシと叩き付けた。
「おうおう反省しろ、キヨ。お前がセイラさんを口説くなんざ百年はえぇんだよ!」
「声大きい……。てかもう大丈夫だから……」
セイラは清田の顔を上げさせ、レイトの手を止めた。
仕事が終わり、三人は会社の最寄り駅に何軒かあるうちの一軒の居酒屋に入った。
ここはチェーンの居酒屋だ。リーズナブルな価格でお酒も食べ物も楽しめるので、仕事終わりのサラリーマンやOLがよく吸い込まれていく。忙しく立ち回っている店員たちは、揃いの黒い半そでに紺色の前掛け、赤いバンダナを身に着けている。そのほとんどが大学生のようだ。
レイトがセイラのデスクに置いたメモは呑みのお誘いだった。それを見る直前にあんなことがあったので、レイトは清田のことも誘ったのだ。
『礼儀がなってないヤツだけどかわいいヤツなんです。セイラさんに謝罪させたいのもあるし、セイラさんにキヨのよさも知ってほしいんです』
セイラも大勢の前で清田に冷たい態度を取ったことを謝りたかった。店に入ってすぐにそのことを口にすると、レイトが”セイラさんが謝る必要はない”と遮った。
そこで冒頭の清田の机上土下座だ。
おそるおそる顔を上げた清田に、セイラはぎこちなく笑んだ。彼の目はまだ恐れている。レイトは頬杖をつきながら、清田の二の腕をつねった。
「俺を差し置いて口説いたことと、まだ謝らないといけないことがあるだろ」
「あ、はい……。タメ口で話しかけてすみませんでした……」
しゅんとしてうつむく姿に、初めて罪悪感が生まれた。
彼は他の社員たちが、歳上のセイラにタメ口で話しかけるのを見ていたのだろう。それを真似する度胸はある意味すごい。
清田のことは以前からタメ口だけではなく、書類を乱暴に置いたり片手で物を渡すことも気になっていた。心の中でそのツラを何度ぶん殴ったことか。
だが、こうして素直に反省できることは知らなかった。
「お待たせしましたー、生三つでーす」
その時、最初に頼んだ生ビールが机に置かれた。泡があふれるほど注がれたジョッキが三つ。
最近は冷えてきたが、やはりお酒は冷たい方がおいしい。それぞれ持ち上げてジョッキを軽く合わせ、半分ほど一気に喉に流し込んだ。テーブルに置くと、レイトが小さく口笛を鳴らした。
「いーい飲みっぷり。セイラさんはビール好きなんですか?」
「んー……そこまで、かな」
「キヨは?」
「俺も……。でもレモンサワーとかだと何杯でも呑みたくなります」
「分かる、私も。ビールは最初の一杯目しか呑まないの」
笑いかけると、初めて清田が笑顔を見せた。
その後はレイトが率先しておつまみやレモンサワーをスマホで頼んだ。
最近は自分のスマホで注文する居酒屋が増えてきた。中には支払いまで済ませられるところもある。
「キヨー、今日は好きなだけ食えよ。何が好きなんだ?」
「えと……肉」
「キッズかよ。赤ウインナー頼むか。あと唐揚げとチキン南蛮と……」
お酒を呑んだりつまみを取り分けている間、日頃の鬱憤やら同僚の話が弾んだ。
その間、清田の笑顔も少しずつ増えてきた。セイラの質問に受け答えする時も、恐れの表情が見えなくなってきた。
セイラと清田はレモンサワー、レイトはビールを呑みながら軟骨の唐揚げをつまんだ。
「キヨの同僚の女子いるだろ、髪がピンクっぽいヤツ。アイツは注意するのもメンドいくらい終わってるよな」
「俺もアイツはダメだと思います! 」
「セイラさんにナメくさった態度とってるけど、いつ雷落とされることやら……」
「ちょっと、人のことをブチギレキャラみたいに言って!」
優しそう、と歳下から舐められるのは常。にこやかに過ごし争いごとを好まない人間だと思われがちだが、過激派なところがある。
自分でも短所だと分かっている。しかし、押さえつけることができない。
カッとなると我を忘れてしまうのだ。アンガーマネジメントというものをネットで読んだことがあるが、セイラには意味がない。六秒数える前に血が沸騰して蒸発する。
いい歳なのに……と、自分でも頭を抱える悩みだ。
「もーセイラさん、仕事じゃないんだから難しい顔するのやめなよ~」
「君は気安くさわらないの……」
レイトがなれなれしい態度で来られても嫌な気はしなかった。彼の場合は敬語&タメ口なので、中和されているように感じるのかもしれない。
「セイラさんは人の話聞いてるばっかりで楽しいの?」
「うん、木山君の話はおもしろいし」
レイトは身内ネタを話す時は相手を選ぶようにしている。
しかし、セイラはいつも楽しそうに聞いてくれる。レイトは肘をついて彼女を見つめ、ロックグラスに手を添えた。
二軒目は落ち着いた雰囲気のバーに二人で来た。カウンター席の隅に並んで座っている。
清田は呑むペースが早く、早々に潰れてしまったのでタクシーに押し込んだ。明日が週末でよかった。
「自分が話題提供してるばっかじゃん、おめーも話せって思った?」
セイラは静かな声で笑う。目線を落とし、赤いストローでグラスの中のミントをかき混ぜた。
「そんなことは。俺が話しすぎてセイラさんが口を挟めなくなってないかと思ったんです」
「私は大丈夫だよ。特に今は仕事中じゃないでしょう」
セイラは首を振り、ナッツをつまんだ。
それが嬉しくてレイトは普段の倍は話した。静かな店内に似合わないテンションで。一軒目であれだけ話したのに、まだネタがあるのかと彼女は驚いているだろう。
そこで彼はセイラに質問をすることにした。
「セイラさんにとって仕事の楽しみはなんですか?」
「お金が貯まること」
「お金……」
「夢がないとか思わないでね。私、いつかパーッと旅行に行きたいの」
冗談めかして笑った赤い顔が可愛かった。
本当は二人で呑みたかった。セイラは大人数の吞み会には顔を出さない。だからこうして時々誘って、二人で呑んでいた。
だが、彼女に趣味があるとか夢を持っているなんて知らなかった。
「へーどこに?」
「修学旅行で訪れたとこ。ウチは母子家庭で旅行に行くことがなくてさ、修学旅行でしか県外に出たことがないの。また行きたいなって思ってるんだけど、大人になると休みは家でダラダラしていたくて……。どこにも出かける気がなくなっちゃうんだよね。だからいっそ、貯めて貯めて仕事をやめて旅暮らしをするつもり」
「えー! そんな壮大なこと考えてたんスか!」
その日一番の大声が出てしまい、店中の視線を集めてしまった。カウンター内でグラスを磨いていたマスターが片目を上げた。テーブル席のカップルもくすくすと笑っている。
恥ずかしかったが、”目立っちゃったじゃない”とセイラにはたかれたのは嬉しかった。
「それで? 目標金額までどうなんですか?」
「実はね……もう少しなの。だから年明けすぐに辞めるつもり」
はにかんだ彼女とは反対に、レイトの心が一気に冷え込んだ。ロックグラスに入った丸い氷を一飲みしたように。
いっそ本当にそうしてしまえばよかった。喉をつまらせて氷が溶けきるまで意識を失ってしまいたかった。
「そ、うなんスか……」
「うん。課長にしか言ってなかったんだけどね」
「辞めたらすぐに行っちゃうんですか?」
「うん。雪景色を楽しみたいし」
彼女は片手でスマホを操作すると、雪で覆われた町の写真を見せた。修学旅行で訪れたところ以外も回るつもりらしい。テレビや写真でしか見たことのない景色をこの目で直接見たい、と。
「幸い一人暮らしで荷物も少ないし、家電も売れば資金になるよね」
「一人暮らしなんですか、セイラさんって。寂しくないんですか」
余計な一言を足したな、というのは口に出してから気づいた。セイラが顔に力を入れたからだ。
清田の二の舞か……と覚悟したが、彼女はプイッと顔を背けた。
「別に……。なんでも自由でクソ楽しいけど。自分は彼女たくさんいるくせに他人にそんなこと言って……。本当はそっちが幸せじゃないんじゃないの?」
セイラはぶうたれた表情でつぶやくと、レイトのことをにらみつけた。
「あ、そのことなんですけど……。彼女たちと別れました」
「えぇ!?」
今度はセイラが注目の的になる番だった。彼女がこんなに声を張ったのは、レイトも聞いたことがない。
彼女の両肩を叩いて”まぁまぁ”となだめると、彼女は気まずそうにグラスをあおった。
「彼女と同棲してたでしょ……」
「あ、やっぱりあの時すれ違ったの気づきました?」
「彼女……たち、大丈夫なの?」
「大丈夫じゃなかったです」
笑顔で答えると、セイラは”でしょうね”と半目になった。軽蔑しているらしい。
彼女たちに別れを告げた時、一人残らずビンタをお見舞いしてきた。泣いて罵り、レイトの心をえぐった。最後だからと誠実に、と直接会ったのが災いした。それだけのことをしてきたのだと初めて思い知った瞬間でもあった。
同棲していた彼女には蹴りを入れられ、おまけに顔や喉を爪で引っ搔かれた。
特に同棲していた彼女はセイラよりも歳上で、”責任取れ!”と怒鳴られた。童顔の彼女は服の趣味やメイクが若いのでレイトよりも歳下に見られがちだ。だが、職場では立派なお局。日々、後輩をしごいていると食卓で自慢していた。”この前はパートを辞めさせてやった”と鼻を高くしていた時はさすがに引いた。
セイラにそれを話したら彼女はドン引きし、同じ職場だったら私が辞めさせると息巻いた。
「基本的に後輩は無条件でかわいいの。後輩とか新人をいじめる人は許さないの」
「さすが……。今の聞いて、ますますセイラさんと一緒になるべきだと思いました。」
彼は腕を伸ばすと、セイラの髪にふれた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?