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「ランデヴー -秋- 」を読む

 このごろ、ようやく秋の夜だな。なんて思えるようになってページをめくる時間が増えてきた。
大野理奈子さん、塚田千束さんの
「ランデヴー -秋-」おふたりの連作から好きな3首ずつ選んで言葉を添えました。

塚田千束さん「きらびやかな秋」より。

○規則的なミシンの音にすくわれてかたちになると安心するね

 そういえば子どものころ、足踏みミシンがあった。選んだキルト生地を母がカタカタ足踏みをしながらバックやナップザックを作ってくれたなぁ。なんて思い出しつつ不安、というのはその存在がどんなものか分からないことから起こる気持ちだと思う。なので、かたちへとなりゆくまで続くミシンの音は安心を紡いでゆくのだ。

○金木犀 出さない手紙を書くときの永遠の手前みたいな愛しさ

 手紙、というのは相手があって成り立つコミュニケーションツールだ。けれどもその相手には届けない[出さない]のなら書き終えたら、その人と私の繋がりは無くなってしまうのだ。今朝、窓を開けたら金木犀の香りがしました。お元気ですか? ……とか。相手を想いながら書く時間というのは愛おしくもあり、なんだか切ない。

○雁はゆく影を落として道しるべなき秋空をうつくしく裂き

 残暑が続き、ずーっと夏のような気がしてしまうけれど。見上げればちゃんと空は秋の顔をして雁は渡ってゆき、その存在として影を落とす。道しるべなんてものは無くても自然の営みは季節に寄り添っているのだ。清少納言は秋は夕暮れ、と綴り烏の姿をとらえているけど。夕空を裂くように渡る雁の姿を浮かべたい。

大野理奈子さん「スペースキー」より。

○秋の日の給湯室の暗がりでひとりで沸いている象印

 夏の暑さが和らぎ、もう秋だね、なんてまどろみたくなる陽射しが窓から注がれる。そんな日の職場は雰囲気もどこか穏やかでもうじき昼休みになる頃。職場の雰囲気が穏やかであるのに職場の一角にある給湯室にて電気のついてないなかでひとり、一所懸命に働く姿をカメラがとらえた。湯沸かしポットさんからすれば四季問わず、ひとが働く日の朝と昼は特に忙しいのだ。そこにスポットライトが浴びたところ好き。

○この場所に私を繋ぐ力だと信じるかぎり炊けるお米だ

 東京にいる時ふだん、滅多にご飯を炊かなくなってしまった私、なのだけれど。今年は実家に帰る機会が多くなり炊事をするようになった。単音のアマリリスが流れるとご飯が炊けている。開けるとふわーっと湯気が広がりお茶碗にご飯をよそる。やっぱりご飯って今日これからの私の糧になるんだよな、なんて思えて食べる。そして1日を過ごして翌朝のための米を研ぐ、炊飯器にセットする。私にとってはたまに、なんだけどこのルーティン好きでうたの力強さも好き。

○疲れたら本が読めないわれわれはねむれぬイルカのようにさみしい

 イルカは完全に眠ってしまうと溺れて命を落としてしまうため浅い眠りを繰り返して脳を休めているらしい。ひとは身体が疲れたら眠ってしまうのが1番に休める手段だと思うけれど。それは身体は喜ぶけれど、心はどうだろう。このごろのわたし、加齢もあるかもしれないけれど。以前より仕事量も増えたのもあるな、ただいまー、疲れたーってバタンキューすると身体はほっとしている。特に足なんかもう動かないでくれよ!って言ってる。手が本に伸びなくなった。つまり本が読めなくなってきた。もしもイルカがぐっすり眠ったら?もしも私が浅い眠りのまま本を手にとっていたら…。さみしいがほろ苦い。

 おふたりの交換エッセイの中で今を生きる暮らしを保ちながら短歌を続けてゆきたいけれど、でも。のモヤモヤとか両立の工夫とか、おふたりの叫びの交換にわたし、ぐさっと刺さりながら共感しました。あれ?文さん(土屋文明)も短歌は叫びの交換と言ってたような気がする。

おふたりの短歌作品もエッセイも秋の夜に沁み込みますよ!

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