湖(まんなか)で、お香を仕立てる会をひらいてゆこうと思います わたしにとってお香は、じぶんのエネルギーを調律したり、まんなかに一致してゆくときに導いてくれる存在です そのときに必要とする香りや、香りの強さなどを感じることで、今のじぶんの状態を知る手立てにもなっています お香を仕立てる会で仕立てるのは、月と旋の『枝のようなお香』です わたしが編み出した手法で一緒に仕立ててゆきます 粉をにおってみて香りをえらび、タブ粉と山のお水を合わせて練ってゆきます お香を練る時間
朝からまたガツーンとハンマーが振り下ろされたような衝撃を受けた。 どうしてこんなにもすれ違うんだろう。どうしてこんなにも対話ができないのだろう。 だけど次の瞬間わたしのこころはゆるしはじめていた。きっと彼女はそんな風にして生きてきたんだろう。鉄を叩けば叩くほど強くなるように、そうやって自分の心の壁を築いてきたんだろう。 親から子へ、そういうカルマは連鎖していくものなんだと今年のはじめに九星気学の方に教えていただいたな。だから、あなたが向き合ってここでその連鎖を止めなさい
湯船に浸かっていたときに、自分の内側の世界に真っ白な空白を感じた まんまるで月の電球のようだった 生きている、ということをなんとなくあたたかく体感的に感じた からだが火照って、部屋もストーブでぬくまって、洗濯物を外に干しながら夜風にあたった シンとした夜の冷たい空気がいろんなことを思い出させてゆく 夜なのに、今日は真っ暗な空に浮かんだ雲がぷっかりはっきりくっきり見える 不思議な感覚にくるまれて、外と内の境界線に立った 「生きてるってなんだろう」 湯船に浸かっていた
「すみません」より「ありがとう」の方が、伝える側も伝えられる側も少しやさしい気持ちになる気がする。 ATMに長い行列。 手元で何かしていたおばあさんが空いたことに気付かずに、後ろのおばあさんが声をかけた。 おばあさんが言うより先にわたしの脳内には「すみません」の言葉がコダマしていたのだけれど、聞こえてきたのは「ありがとう」だった。声をかけたおばあさんも、なんだか少しやさしい顔になった気がした。 ほんの、すこしのこと。
今世界で起こっていることを、遠巻きに俯瞰して眺めている。わたしたちのことだけれど、その「わたしたち」をこの星全体のことだと、全てのことだと捉えて向き合って大切にしている人たちはどれくらいいるだろうか わたしはどんなエネルギーでどんな世界でどんな人たちと生きてゆきたいだろうか 人類だけではなく、全てをわたしと感じている、それが極自然なことだとしている人たちと生きてゆきたいと思う どうしてみんな抱きしめ合うことができないんだろうか。人間は欲深いなあ。だけどそれが人間らしさでもあ
今日は朝からたくさんありがとうございますの日 そしてなんだか、なんでか、あの毎日ロールケーキをつくっていた日々を思い出した。 「今日はあなたがつくったロールケーキかな?」と毎日のように足を運んでくれたおじいさんも思い出した なんかいろいろあったはずなのに、こうやって数年経つといいことしか思い出せない思い出もいいな。 パンとスープのお店の向かいにある喫茶ハッピーのような喫茶で働いてみたいなあと思う木曜日 あたまのなかが難しくなったら、ただ今を生きてみるのがいい。
久しぶりに夕方スーパーに寄る。 仕事帰りだろうな〜って女性がたくさんいた。 子どもが3人いそうなお母さんとか、焼き芋の袋を必死に覗いてるおばあちゃんとか、スラリとスーツ姿の女性とか、アパレルで働いてそうなお姉さんとか。 みんな違うんだけど、仕事も暮らしも違うんだけど。なんだ、みんな一緒だな〜と思った。 食べてゆくために働くのだ。 お金が少し多くあれば、その分旅行へ行ったり贅沢ができるのかもしれないけれど。 でも、本質はおんなじだ。 生きて、死んでゆくまでの間、暮らして