【 副籍・支援籍 】 について思うこと。 【後編】
こんにちは。文章書くのって難しいですね。どんどん長くなる・・・。月子のnote初の【 前編 】【 後編 】となっております。【 前編 】が未読の方はソチラからどうぞ〜。
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では、本文へ続きます。
「障害者」のイメージは。
海月くんが生まれる前の話。
私にとって「知的障害者」のイメージは、電車で駅員さんのセリフを真似して繰り返す人、道で大きな声をあげる人、バス車内で独り言を話す人でした。(失礼な表現を申し訳ありません。)
無関心だったから、公共機関に乗れない知的程度の方がいるということを改めて考えてみたことがなかったし、たまたま街中で見た光景をもとにイメージが出来上がっていたんだよね。
一人で公共の交通機関にのれるって、超すごいんだから! ってことを、強く強く感じたのは、息子が生まれてから。海月くんが一人で電車やバスに乗れる姿を、私は全く想像できない。
変更や初めてのこと、普段と違うことが苦手。疾患や発作のある子も多い、定期通院もしてる、自分のことを伝えるのが困難、学校であったことを伝えることも難しい。家庭と学校と学童(放課後等デイサービス)連携と情報共有が必要なのに難しいし、過ごす場所の選択肢も少ない子たち。
今進んでいるインクルーシブな社会への方向性に、否定的とは言わないけれど、今の速度で進んでいくのがすごく怖いんだよね。無理解が怖い。知る機会が少ないが故に、一般の知識の無さは仕方のない部分もあるのかもしれないと思ってる。興味を持たなくても何ら困らない側であるなら、意識を向ける必要がないだろうから。
だからこそ、少しでもこちら側から、何かを感じたり興味を持ってもらえる機会を持つことに意味があるのかなと思うんだ。無関心から心を動かしてもらうためのキッカケ。副籍制度もキッカケの一つかなって。
他にも。地域の避難訓練に参加したら、もしもの時に海月くんのような子が来ることを想像してもらえるのかな? とか。子ども会の活動に参加して関われば、普段の姿を少し知ってもらえたり、地域に住んでるよって意識してもらえるのかなとか。そういうことを考えた。
それなのに、病院は障害児でも通いやすいところをって選んじゃうし、公園も人があまりこない所に行ったり時間帯も選んだりする。冷たい視線や心ない言葉が怖いから、今の自分ができると思う範囲でしか動けないけど。
誰かにこうするべきだよと言いたいわけじゃ無くて、私はそうしたいって思いの表明。それと、月子の思いを目にして、そういう考え方もあるんだねって知ってもらえたら嬉しい。
副籍制度なんてさ「利用する」「利用しない」は、ホントは息子がどう思うかが一番大事なんだけどね。思いを聞くのが難しいから、とりあえず私が今思ってる方向で動こうと思ってる。本人の様子を見つつ続けるか判断することにはなるけど。判断がつくのかも、私の判断が正しいかもわからないけれど。
※追記(2024年5月1日): 子に聞いても返答ないからと端から聞く選択を入れてなかったけれど。仮に返答がなくても意味がわからなくても、息子に尋ねるって行為はしていきたいと後日思いました。「返答できない」は思い込みであるかもしれないですし。身近な存在であっても、子供の気持ちは親ではわからないから。
今の私には怖いけど、未来のために種を蒔く。
無関心。
海月くんを生む前の、月子自身がそうだった。無関心だった。定型発達といわれる方々の興味関心を得ることで、良い反応だけでなく、嫌悪感を抱く人もいるかもしれない。だけど、そこに存在しているのに意識にすら引っかからない、その方が怖いよ。存在が無いもとして見過ごされることへの恐怖。
行動は未来への投資。
自分のできることから。
「未来に種を蒔く」なんてカッコいい言葉使ったけど、月子のやってることなんて、せいぜい土を耕すくらいでしょうかね? でもさ、種を蒔く方々もいてくれるから、根づきやすいように整えることは無駄では無いと思うんだ。大きなアクションはできていないけど、それでも、未来に種を蒔くチカラになるといいいなって思っています。多種多様な活動している方に大きなエールを送りつつ。