【 雑念 - 002 】 多くの人生の選択、その答え。
こんにちは。月子です。
今日は、【 雑念 】の第二回目。
このカテゴリーは、ちょっとした思いつきや雑談や、あーでもないこーでもないの雑念を軽くつぶやく雑多な思考置場。気軽に読んでくださいませ〜。
今日は雑談でも。
シェイクスピアの執筆した四大悲劇のうちの一つ「ハムレット」にでてくる言葉だそうです。そして、それにつづける形で
「人生は選択の連続である。その選択が正しかったかは、死ぬ時まで分からない。」
こんな言葉を目にしたことあるんです。誰の言葉だっけ? タレントさんか、または一般の方かもしれない。これを知ったときに、ホント、そうだよなぁ・・・って思ったのですよ。
他者から「あなたの選択は間違っている!」と発言されたときに、主観による発言や、無責任な発言、全容が見えていない発言、一般的な例に当てはめただけの発言などもあると思います。育児・障害児育児などでわりと聞く言葉・・・。
仮に、自他共に認める「間違った選択」だと思ったとしても、それがその後の人生にどう活きてくるかなんて、「今」分かるわけがない。
さらに言うと、自身に関する選択だった場合は、死ぬ間際に自分の人生を振り返って「幸せだった」と心から思えるのなら、その先の自分を形作るのに必要な選択だったってことにならない? その選択が人生の中で大きなことであればあるほど。 って思ったのです。
他人からなんと言われようと、その選択がこの先どんな結果を持ってくるかなんてわからないよね。その選択の価値は、その瞬間に分かるものでは無くて死ぬ時までわからないよ。もしかすると間違った選択のおかげで、その後の人生が変わる可能性も大いにあるだろうし。(法を犯すレベルでなければね・・・)
実はね。障害児の親として、その時その時で精一杯動いているけれど、あの時アチラの選択をしていたら、良かったんじゃ無いか? って度々思うのです。月子は「海月くんにとって」一番いいと思われる選択よりも、「家庭にとって」良い選択を選んできたつもりで。海月くんだけでなく、海月の姉、海月の父、そして月子にとっても良い方法を。でも、海月くんにとっては、何番目の良い選択だったのだろう? という後悔。この選択は、私の都合に合わせてるだけでは無いか? という不安。
そんなときに、ある方が言っていた「今よりちょっとでも良くなればよいんじゃないの?」って言葉を思い出します。この考え方は、私が様々選択するなかで、すごく価値のある言葉になってます。「最善」ってすごいプレッシャーなんだよね。そして選ぶのが難しい。時間がかかる。でも、今よりちょっとでも良くなったと思えるって選択は、きっと無数にあるじゃない? 障害児育児だけでなく、日々の生活、仕事の選択の場面で。そして困ってる時や改善したい事を考える時などでも生きてくる思考の仕方。
なんていうかね、仮に「間違った選択」と今据えていても、考え方次第だよ〜。他者からの評価なんて気にするなよ〜。なんなら自分の評価も変えちゃいなよ〜。変えちゃえるんだよ〜。って言いたかったの。
ただ一つ重要なのは、後悔しているままで人生終えてしまったらそこまでなので。後悔してるなら、自分にとっては良かったと思える選択にしちゃえばいいよなって思うのです。過去のことは変えられないけど、変えられる未来はあるからね。生きているうちは、まだ答えは出ていない。
「人生は選択の連続である。その選択が正しかったかは、死ぬ時まで分からない。」