わたしの映し出す世界
『救いたい』と思えば
『救われたい』人が現れる
『助けたい』と思えば
『助けられたい』人が現れる
本当は
救うべき人も
助けられないといけない人も
ひとりもいない
以前は子どもの障害に嘆き苦しみ
自分の生き方に光を見い出せない人を見ると
どうにかしたい
救いたい、助けたい
早くそこから抜け出して欲しいと思っていた
それと同じように、
『障害』があるからと下に見られ
不当な扱いを受けることにも
怒り、悲しみがあった
ある時
aoがわたしに向けて書いた言葉で
ようやく氣づけた。
「助けたい」
「救いたい」
その感情の根源は
過去の救われていない自分だった。
「可哀想」
「○○のために」
それはわたしの陰と闇を認めるため。
わたしの内側で昇華出来ていないものが
目の前の人や現象を通して
わたしの世界に映し出されていた。
そして、自分自身が映し出したものを通して
わたしを癒し続けていた。
今はどれだけどん底で真っ暗闇の人が居たとしても
ただ、『大丈夫』と思う😌
そしてそんな姿が尊く美しく愛おしく思う🌹
必ずその涙が希望になり
光へと輝き出すことを知っているから
乗り越える力があると信じているから
だから今、
わたしの世界には
救わないといけない人も
助けないといけない人も
可哀想な人も
ひとりもいない。
ただ、自分の人生の過程で
唯一無二の経験をしている
変わらずわたしは、
『大丈夫だよ。
ひとりじゃないよ☺️』
って横で幸せに笑ってたい。
わたしのど真ん中を
生きて生きて生ききって
愛から溢れる
安心と信頼の循環を巡らせていたい🌸
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