『タロットが教えてくれたこと』
最近 「タロット占いをやってみようと思います」 ご相談が増えてきました。
多くのタロット講座などで、学び始めた受講生さんが驚き、またはぶつかる “壁” を、自分の経験を交えて簡単に説明してみました。
タロット占いを習う前に、ご一読いただけると、理解がしやすくなる……かもしれません。
大人の顔色を窺う子ども
“どうでもいいや”
なかば投げやりな感情は、子どものころの思い癖(パターン)で、呼吸と同じように当たり前のことでした。
「お姉ちゃんだから」といっては、いつも理不尽な扱いを受け、言いたいことを言えば叱責される。
典型的な昭和の第一子、特に長女に多い幼少期の環境です。
やりたいことは、必ずダメと言われ続けていたので、私の生きる術は、もはや
・どうしたら両親の機嫌を損なわないでいられるのか
・どうしたら怒られないで過ごせるのか
・どうしたら妹が騒がないでいてくれるのか
確実にできる方法ばかりをさがしていました。
家にいるのに、モノクロームの世界で氷の上に座っている。いつの頃からか日常は、怒られるのが嫌だから、「自分で決めることをしない」という100点満点の答えを導き出したのです。
周りの大人たちから「何がいいの?」とか「どうしたいの?」とか、聞かれても、間髪入れず「どっちでもいい」と答えるようになっていた私。怒られさえしなければ、自分のことは、どうでもいい ‟あきらめる” という最高の防御を身に着けたつもりだったのかもしれません。
そんな、一見 どうでもいい 毎日の中で、ひとりトランプ占いをしているときだけが、唯一の心地よい時間であり空間でした。
誰も入ることができない・誰にも邪魔されない空間は、白と黒の世界の中で、ほんの一握りの彩りを与えてくれるし、嫌なことは、忘れさせてくれます。
その頃私の 「トランプ占い」 は、本来の占いとはほど遠く、嫌な結果が出たら良い結果になるまで、何回も繰り返すというものでした。
そして、いつしか「占い」をすることに心を奪われ、トランプなしでは何も決められなくなってしまったのです。
タロットカードとの出会い
黒船来襲
小学5年生の夏休み、突然一艘の黒船が目の前に現れました。
群馬の片田舎、しかも1軒しかない本屋の棚にあった1冊。
占い好きだった私は、親からまとめてもらっていたお小遣いの大半をはたいて、手に入れることにします。当時の小学生にとって、かなり高価なものでしたが迷いは、全くありませんでした。
「タロットカード」との出会いです。
今までの「トランプ」とは全く違うカードは、神秘的なエジプトがモチーフの絵柄で
なんとトランプよりも格段に枚数が多いのです。
なんだか一気にトランプが子どもっぽく見えてしまいます。
解説書は、ついていましたが読めない漢字も多く難解で、まず、従妹から漢字の読み方を教えてもらいながら、勝手な解釈で「タロット占い」をしてみました。
そして自分のことを占うのですが、トランプ占いのように、「できる」「できない」という単純なものでもない。
10枚並べて、あ~でもないこ~でもないと、カードとのにらめっこ状態が続く毎日でした。
「カードに意味がありすぎて、どれを選んだらいいのか分からない」という、「悩み」にぶち当たるのです。
好奇心が強い時には、全く気にならないのですが独学では、限界があることをここではじめて知ります。
でも「占いを習って、将来占い師になりたい!」なんて、口が裂けても言えないことだっでした。理由は、ダメと言われるに決まっているから。
でも本当は、 「占い師になれるわけがない」 と、あきらめてしまっていたのは、私自身だったのです。
あきらめがちな子どもは、高校を卒業してから、結婚→出産→美容学校→美容師という道筋をたどり、念願だった「美容室」を持つようになりました。
常に決断を迫られる立場になると、あるはずのない「間違いのない決断」をするため、いつの間にか今度は、誰かに占ってもらう側へと変化していたのです。
そしてまた、大きな転機が訪れます。
地主さんの遺産相続問題で、突然店の立ち退き話が降りかかってきました。
ちょうど40歳を迎えるころ、いよいよ先生のもとで本格的に、「タロット占い」を教えてもらうことになります。
まるでタロットカードと出会った子どものころに、田舎の川に流した笹舟が大海を目指して帆を進めていたかのような出来事でした。
ベルリンの壁、崩れる
実際に「タロット占い」を習い始めると
見ると聞くとは大違い!!
独学で培った、 ‟思い込みのタロット占い” は、音を立てて崩れ去ります。
“感情はいらない!” “先入観を持たないで読むこと” 「は?」 全く意味が分かりません。
これは、占い師の個人的な感情や、思い込み、正義感など必要ない、特に同情なんてもってのほかということです。
カウンセラーとも通じるところがあります。
ウィッチクラフト(魔女の世界観)の話も初めて聞きました。
表も裏もあって一つである。闇があるから光があることが分かるんですよ。ということなのです。
白と黒 や 良い悪い のどちらか一つをジャッジするような世界ではないのだと。
はっきりと ジャッジはしない! とまで言われました。
ものの見方自体が、今までとは、全く違うのです。
占いは、人を正しい道に導いていくもの と信じていたのですが、習い始めてみると
「占い師にそんな力は、ありません。そもそも人が人を変えることなんて、出来ないです」 と、厳しく言われました。
一番大事なのは、自己責任であり、 “行動しない人は未来を変えられない” という先生の言葉は、大きな杭となって胸にグサリと突き刺さり、見事に壁を崩して行くのでした。
人を占うリーディングを身に着けることができたとお墨付きをいただいても、スタートラインにやっと立てたかな?位のレベルであることは、のちに思い知らされます。
最大の学びは、カードに決めてもらうようなことはNGだし、意味のないものだということです。
「自分の舵は、しっかり握って離さないことを、忘れてはいけない」
小学生のころからの最大級の過ちを正す、大きなきっかけとなりました。
「お前は神にでもなったつもりなのか」
そして、もう一つ カードは、紙であって神ではない!
当たり前のことですが、絶対に忘れてはいけないことです。
にわか霊能者に、「カードは神棚に置かないと!」とお説教されたことがあるけど、全く根拠はありません。
占いができるというと、特別な人扱いをされることがあるので、つい勘違いしてしまうこともありました。
「お前は神にでもなったつもりなのか」
直接私が言われたわけでもないのに、頭のてっぺんから足の先まで電流が走ります。
その通りだわ。
ある勉強会での出来事でしたが、特にタロットのような系統の占いでは、重要な考え方です。
今も、心のど真ん中にしっかりとおいている言葉で、自分のリーディングをぐるりと180度変えてくれました。
「正しいことを伝えてあげなくては」 「いいことを言わなくては」 と、変に肩肘を張っていた私は、恥ずかしくなり、座り込んでしまいました。
‟タロット占い” を学んでいなかったら、思いっきり言い返して反抗していたことでしょう。
タロット占いが教えてくれたこと
運気の流れに身を任せるのも、逆らうのも、決めるのは自分自身です。
人間は神様ではないので、幸せに導いてあげることも出来なければ、正しい生き方を教えてあげることなど出来るわけもない。
そんな力は、誰にもないのです。
決めるのも変わるのも、その人自身の力であって、人さまが変えてくれるわけでもないですよね。
そもそも占いに、そんな魔力は、ありません。
タロット占いをした後で、良い方向に行った人は、沢山います。
でも、占い師の手柄ではありません。
全ては、そのかたの努力の結果だからなのです。
「未来は決まっていない」ですし「動けば未来は変わる」のですから。
占いを聞いて、どうしていくのかは、その人次第です。
変な力が抜けたころから、自然体でリーディングしている自分に気がつきました。
それと同時に、普段も自然体でいられる時間が増えてきているのも感じています。
自然体でいるメリットは、細かいことに反応しないでいられるので、思考と心が休まること。
そして、休まることでまた新たに何かが生まれるのです。
いまは、文章を生み出すことに活用しています。
生き方を変えるキッカケを作ってくれたタロットカードは、さらに広い世界を見る時の相棒として、これからも活躍してくれることでしょう。