ショートショート。のようなもの#5『井戸端会議』
「先輩、お疲れ様でした。」
入社して、最初の一週間の仕事を終えた私は17時になったので、先輩に言った。
すると、先輩からは想定外の答えが帰ってきた。
「ん?いやいや、まだ帰っちゃダメよ」
出た。これが大学の先輩からよく愚痴を聞かされていたサービス残業ってやつか。
ここで上手く乗せられてはならない。
「え?でも、もう定時だし、今日は残業はなしだって?」
「あー、そっかあなた、今週入ったばっかりだから知らないんだ。残業ってわけじゃないんだけど、うちの会社では、毎週末になるとみんなが集まって会議をするのよね。まぁ、会議って言っても“井戸端会議”だけど」
「はい?井戸端会議?」
えーっと、“井戸端会議”って、あれよね…?
「そうそう、井戸端会議。…そう正解、あなたが言うとおり井戸端会議っていうのは、世のおばさま方が、ご近所揃ってひそひそしゃべるあれ。あれを、今から第五会議室でやるから、あなたも遅れないように来てちょうだいね~」
「ちょっと先輩!待ってくださいよ!」
そう言い残すと先輩は、軽快な足どりで去っていった。
─どういうこと?会議室で、わざわざ井戸端会議をやるの?
そもそも“井戸端会議”ってそんな、時間と場所をきっちり決めて開催されるものなの?
買い物帰りや、幼稚園の送り迎えのときに、たまたま出会ったおばちゃん同士が、自然発生的に始めるものじゃないの?
…そうか。飲み会みたいなことなのかな?みんなが集まって一週間の労をねぎらう集まり。
それを、お店に行かずに会議室で済ませてしまおうというわけか。
なんて考えを巡らせながら、都心の高層ビル内にあるオフィスから、ガラス張りの廊下を歩いて、第五会議室へ向かった。
「飲み会とか、しんどいな。特に新人OLの私は、上司に気を使ったり、つまらないオヤジギャグに愛想笑いをしたり…はぁ」
そんなことを考えながら、第五会議室の扉をノックした。
コンコン。
「はいはい、どうぞどうぞ~!入ってちょーだい。開いてるさかいに入っといで~」
ん?ん?誰だ?掃除のおばちゃんか?
あんな関西弁のおばちゃん、この会社にいたかな?
…声の様子は、さっきの先輩の感じだけど。
扉を開けた私は、目の前の光景に我が目を疑った。
そこには、さっき私に「─遅れないようにね~」と言った先輩が、おばちゃんパーマになってヒョウ柄のTシャツにパッツンパッツンの黒のスパッツ姿で立っているのだ。
手には、どこで調達したか、スーパーの買い物袋を下げて、長ネギや大根が飛び出している。
ん?…そうか!自分たちで料理を作って、みんなでワイワイと鍋でもやるのか?
にしても、大阪のおばちゃんスタイルに身を包む必要はあるのだろうか?
おばちゃん、いや、おばちゃん扮する先輩に目を奪われていて気づかなかったが、さらに周りに目をやるとそこには、昭和の町中のような風景が広がっていた。
自転車の後ろに幼稚園児を乗せているママさんや、ゴミ出しをしようと片手にゴミ袋を持ってサンダルを履いたおばちゃん。そして回覧板を回しにいくのだろうか?エプロン姿のおばちゃんが小走りで私の前を横切った。
と言っても、今、私が紹介したキャストは皆、この会社のOLだ。
先輩たちが何故か、大阪のおばちゃん扮して皆、思い思いのときを過ごしている。
それはまるで、会議室の中に、小さな町内が出来てるようだ。
「なにをボーッとしてんねんな!こっちおいで。井戸端会議始まんねんさかいに~。」
おばちゃん扮する先輩は、ぎこちない関西弁で私を呼んだ。
「これ、どういうことなんですか?」
「何遍言うたら、わかんねんな。井戸端会議やないの!井戸端会議。知ってるやろ?…そうそう!その井戸端会議。ほんで、なんで井戸端会議をうちらがやるか言うたら、一週間の疲れを癒したり、ストレスを発散するためやね。
人の噂話ほどおもろいもんないやろー?
世の中のおばちゃんが、なんであないに元気か言うたら井戸端会議をして、ストレス発散をしてはるからやの。
せやから、うちらOLも普段は男性社員にぎゃーぎゃー言われながら、業務に追われるさかいに、こないして、毎週金曜日の定時後だけでも日頃のうっぷんをぶちまけるんやいの。
この“井戸端会議”という名の最高のストレス発散の会議をして!
まぁ噂話するのも仕事のうちや」
ほとんど理解は出来なかったが、おばちゃんの勢いに気圧されて、はい。と答えるしかなかった。
「ほらほら、あんたは、新人さんやさかいに、これに着替えてちょうだい」
グッと腕を掴まれて、体を引き寄せられたかと思うと、私は犬の全身タイツのようなものを渡された。
どうやら、私はおばちゃんに連れられてる“犬”をやらされるみたいだ。
そこまでディティールにこだわる必要はあるのだろうか。
「ほらほら、ダラダラ着替えてる間ぁないで!こっちの準備もあんねんさかい」
そそくさと全身タイツ犬になった私は、ラジカセから、豆腐屋のラッパの音を流したり、真っ赤な円柱のポストを設置したり、ビニールで作られたカラスを天井から吊したり、こき使われた。
気がつくと、ガラス張りの向こう側の高層ビル群の間から差し込む西日も相まって、会議室の中には昭和の温かい町並みが再現されていた。
「さぁさぁ、ほな始めていきましょか」
先輩のかけ声で、皆がサッと立ち位置についた。
「今日の議題はこちらですー。どうぞどうぞ」
先輩は慣れた手つきで、ホッチキスでまとめられた冊子を配った。
「そこに書いてます通り、今日は、Fさんの浮気問題です。」
ちなみにFさんというのは、この会社の専務で、彼に関しては本人役で参加している。
会議室の奥の壁に貼ってある、駅の背景の書き割りのほうから、こちらへ歩いてくるように、のそのそと、その場で足踏みを始めた。
“ほらほらー、来ましたよ、Fさん。”
“あの人、浮気してはるんやってねー。”
“かなんなー。奥さんは一生懸命、家事と子育てしてる間に、よそでやらしいことして。”
“ほら見てください、手元の資料では、もう三年もしてはるみたいですよ。”
“どんな気持ちで奥さんのとこへ帰っていくんでしょうね?”
“ちょっと待ってくださいよ~、この資料見たら、奥さんとは三年間ご無沙汰。って書いてますやんか~”
“この浮気期間に対して、意見のある方はいらっしゃいますか?”
「ちょくちょく会議っぽさを挟んでくるんだな。
てか誰がどんな顔してこの資料作ったのよ。」
Fさんの名誉のため、念のため言っておくが、Fさんは決して浮気などしていない。
先週水曜日の飲み会の席で女性社員のAさんが飲みすぎたので、背中を擦ったり介抱しただけなのだ。
それが、配られた冊子の最後のページの下に小さく「※」をつけて書いてあった。
それに尾ひれがついて、噂話特有の膨らみ方をしているのだ。
“ほな実際に、先週の水曜日の朝から晩までで、Fさんの気持ちがどう変化したかについて、こちらを見てもらいます!”
白いスクリーンがサッと下りてきて、プロジェクターから、大きな折れ線グラフが写し出された。
「わざわざこんなものまで使うなよ。…ん?なんだこれ?」
画面の左上に「Fさんの興奮指数」と書かれていた。
“ほら、見てください見てください!ここ!ここ!ここ!”
まるで指し棒のように、長ネギでスクリーンをツンツンした。
“朝からですよ!朝から!
会った瞬間に、もう早くも95%までいってますよ!
もう会った瞬間に夜のことを妄想して、グーン!なってもうてるんですわ~!”
“で、このまま新規事業の会議に参加してますよ~!
プレゼンしてるときも、ずっと考えてはったんやね~”
“人前に立って指し棒を使って、いろいろしゃべってはったけど、そう考えたら、あの指し棒もスケベに思えてくるわ~”
「それはあんたがスケベなんだろ」
“あれー?あれあれあれ?ここで一旦、数値が下がってますけど?”
“あっ、これはこちらの資料によりますと、丁度お昼休み。
奥さんの手作り弁当を食べてるときですね。”
“そのときの興奮指数はマイナスになってますよー”
“こないげんなりされたら、奥さんかわいそうやね~”
「いやFさんが一番かわいそうだろ」
口から出てくる言葉は、全て憶測でしかないのだ。
Fさんがどんな顔をしてるのか、気になったが、とても見ることは出来なかった。
ただ、その場足踏みの音は、休むことなくコツコツ鳴っていた…。
─その後、アパホテルに行ったときに発生した休憩代の経費が無駄遣いだ!と罵られたり、逆に、安いホテルで済ませるな!と野次られたり…。
「奥様に対する標準興奮指数の他社比」といったグラフを出され、最低でもこのライン以上は興奮させるように!と奥様興奮ノルマを科せられたり…。
しまいには、上司扮する専門家が現れて、「生物学的観点から見ると、この浮気は…」など
世にも不毛な井戸端会議は続いた。
気がつくと、もう外は暗くなっていて、時計を見ると21時を過ぎていた。
4時間以上も続き、「あっ、ぼちぼち、うちの人が帰ってくるんで~ほなさいなら」
で締めくくられた。
Fさんは、くたくたになりその場に倒れ込んだが、言いたい放題のおばちゃん達は、晴れ晴れした表情で、まだしゃべり足りないのかぺちゃくちゃしゃべりながら帰っていった。
私が、犬の全身タイツを着せられた意味は最後までわからなかったが、スーツに着替えて会社をあとにした。
たまたま帰りの駅で、あの誘ってきた先輩ばったり出くわしたので、私は、思わず素直な感想を吐露してしまった。
「何なんですか?あの会議。マジで意味わかんなかったです。Fさんが、かわいそうですよ!」
「まぁ、仕方ないわよ。あれは当番制になってるから、みんな平等にいつか回ってくるんだし」
先輩は、当たり前のようにサラッと言い放った。
考えるだけで、ゾッとするな。
そして、次の週末も同じように井戸端会議は開かれたが、この日の噂られる当番だったはずの先輩は、なんと、会社をズル休みしたのだ。
そして、言うまでもなく、その次の週のテーマは“会社をズル休みした女”だった。
─はぁ…こんな会議なんかなくなってしまえばいいのに。と思ったが、まぁなくなるはずもないか。
だって、うちは、ゴシップ好きが集まる“週刊誌”を作る会社なんだから…。