ショートショート。のようなもの#54『40歳の僕へ』
『僕は気づいたんだ。きょう40歳になってみて、何かに挑戦するのにもってこいの年齢だということを。
例えば、〝人生80年〟だと考えると残された人生の時間がちょうどいいんだよ。
孔子さんが、人間〝四十にして惑わず〟とはよく言ったものだね。
10代や20代の頃は、人生のことが何もわからないから何かに「挑戦しろ」言われても、そもそも人生経験が少なすぎて、果たして自分が何をしたいかの選ぶことも出来なければ、選択肢があったとしても怖くてとても挑戦なんか出来やしない。
中には、年長者の言う通りに「失敗が出来るのは若いうちだから」と、威勢よく挑戦するものもいる。
ただし、失敗したときには、まだまだ長い人生が残っているのに、この一度踏み外した道は果たして軌道修正出来るものなのか?、もし、出来なければ辛い人生が永すぎるではないか。とも、考えて億劫になってしまう。
はたまた単純に、人生はまだまだ時間があるから「いつかやろう」と考える者がいるのも頷ける。
一方で、これが数十年後になり、人生の晩年に差し掛かってくると、物理的に人生の残り時間が少なくなり、体力も衰えるから挑戦するのが当然のことながら困難になる。
中には、稀にそんな能書きなど凌駕するくらいの鉄人が存在するもの事実だが。
しかし、そう考えると、まさに人生の折り返し地点に差し掛かった40歳の今は、若輩ながら人生や社会のことも少しは理解し始めているから、挑戦したいことや遣り方も伝手も見つかりそうな気がする。
それでいて、その挑戦が盛大に失敗に終わったとしても、人生が折り返しに差し掛かってるんだからみすぼらしくしても何とか逃げ切れるか。という良い意味での楽観視もできる。
それと同時に、もし、今挑戦しなければ、数年後に命がある保障はどこにもない…と切に感じることも増えてくるのだ。
このような点を踏まえて、「よし、一か八か挑戦してみよう!」「今しかない!」「一歩踏み出そう!」となれるわけだ。
だから僕は、今が何事にも挑戦するのにもってこいの年齢なんだ!今しかないんだ!
それ故に、僕は今から〝挑戦〟をしに行くよ!』
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「と、まぁこんなメールが昨日の深夜にうちの局宛に届いたんだけど、今日の放送で読んでくれるかな?」
と、プロデューサーが告げると、薄らとバックミュージックが流れるラジオブース内にいる女性DJは右手でメモを取りながら、左手で大きなオーケーサインを作った。
そして、その左手の薬指には、きのう、40歳の誕生日を迎えた彼からもらったばかりの指輪が照れ臭そうに輝いていた。
~Fin~
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