ショートショート。のようなもの#35『水面屋』
蒸せ返るような暑さの神社の境内は、夜になっても浴衣姿の親子連れやカップルでごった返していた。
ずらーっと並ぶ屋台から少し離れたところの木の影に隠れて、一つだけポツンっとある屋台。
ぼくは、始め金魚すくいかと思ってビニールプールを覗いたけど、そこにはなにもなかった。
水面に浮かんだ僕の顔は、目をパチクリさせていた。
すると、屋台のおじさんが勢いよく「はい、おおにき~!これもろとくで~」と、言った。
その瞬間、驚くべき現象が目の前で起こった。
なんと、水面に写った僕の顔を割り箸のような物を器用に使ってキレイに剥がしたのだ。
ぼくは、湯葉を作る工程をテレビで見たのを思い出した。
目を白黒させていると、おじさんは「ほな、500円払ろときます~」と、言って僕の水面に写った顔を買い取ったのだ。
そして、立て掛けた金網のフックにかけて1000円の値札をつけた。
そこには、僕くらいの子どもの顔がダラーンと垂れた状態で一面に並んでいた。まるで、萎んだ風船みたいだ。
すると、おじさんは「これは、〝水面〟や」と誇らしげに言った。
どうやら〝水面〟というのは、水の表面ということではなく、水で出来たお面のことらしい。
作り方は詳しくはわからないが、水の中にゼリーを作る粉みたいなのが入っていて、顔が写った瞬間にそれが固まるのだそうだ。
僕はよくわからなかったが、500円のお小遣いをもらえたから悪い気はしなかった。
「なんでこんなものを売ってるの?」
「他の子どもに変身するためや。子どもは、親から勉強しなさい!とか好き嫌いしたらダメ!とか色々怒られるやろ?せやけど、他所の子にはよぉ怒らんやろ?せやから、他所の子の水面を被ってお祭りの日ぃくらい好き勝手に楽しんだったらええねん」と、おじさんはニッコリと笑いながら言った。
ぼくは、父ちゃんと母ちゃん3人でこのお祭り来ていた。
毎年、家の近所で夏になると開催されるお祭りだ。ぼくは、この日のためにお小遣いを貯めていたけど、やっぱり父ちゃんや母ちゃんがいると無駄遣いをすると怒られちゃうから、1人で屋台を巡りたくてこっそり離れて歩いているうちに、この不思議な屋台にたどり着いた。
「そっか!ちょうどいい!じゃあおじさん、僕も〝水面〟買うよ!これ、ちょうだい!」
ぼくは、なるべく真面目そうな〝水面〟を買ってすぐに顔に引っ付けた。ひんやりとして気持ちよかった。
そして、うれしくなった僕は、沢山の屋台が並ぶ人混みの中へと子犬みたいに駆けていった…。
そして、思う存分お祭りを楽しんだ。
りんご飴もたこ焼きもかき氷も、お腹がはち切れそうなくらい食べた。射的も金魚すくいもお小遣いがなくなるまで満喫した。
時間がすぎるのを忘れていたぼくは、ふと気がつくと辺りの人混みが疎らになっていた。
「…しまった!早く帰らないと」
そこで、自分が〝水面〟をつけていることを思い出した。
「帰る前に、水面を剥がして自分の顔に戻らないと…。でも、水面が取れない。どうしよう…このままでは帰れない」
ぼくは急いで、さっきの屋台があったところへ向かった。
でも、そこには、もう何もなかった。ただ一本の木が立っていて、そばの土が少し湿ったように黒くなっているだけだった。
誰かに助けを求めようと暗い境内を見渡したけど、知らない大人たちが、うつむきながらが足早に歩いている。
知らない大人に声をかけるのは、想像以上に勇気がいることだった。
そして、その様子をしばらく傍観していた僕は、あることに気がついた。
よく見ると、周りの大人たちの顔が全部、水面屋のおじさんになっている!
暗い境内の中を、微かに残った屋台の灯りに照らされながら彷徨う同じ顔…。何か恐い夢を見ているようで、すごく気味が悪かった。
ひょっとしたら、僕みたいに騙された子どもから苦情を言われないように、自分の顔を沢山売ってカモフラージュしてるのか…?
途方に暮れていた僕の目の前を、一人の大人が通過した瞬間にハッとした。
「今、歩いて行ったの父ちゃんだ!」後ろ姿でも父ちゃんだとわかった。だっていつも見ているんだ!間違いない!
近づくと、父ちゃんは両手いっぱいに唐揚げや綿菓子を持っていた。
「ぼくのことを探していたのだろうか?」
ぼくは、後ろから「父ちゃん!」と声をかけて手を握った。
「きっと、父ちゃんなら助けてくれるはず…!」そう思ったのも、つかの間だった。
なんと、振り返った父ちゃんの顔面には、僕の〝水面〟が張り付いていたのだ。
そして、〝水面〟の奥に光る目は、まるで他所の子を見るようにキョトンとしていた。
~Fin~