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【Dear my Amnesia】第二話

第二話 傷だらけの悪魔

 ステンドグラスを突き破った雷と共に落ちて来たものの正体に気付いた途端、オフィーリアはすぐにそこへ駆け寄った。

「だ、大丈夫ですか!?」

人間には無いものが生えている事から一目で悪魔だと分かっていたが、オフィーリアに助けないという選択肢は無かった。
悪魔の男は既に身体がボロボロで、目の前で一つの命が消えかかっているのを見過ごせなかったのだ。
 悪魔は朦朧とした意識の中で、何かをうわ言のように言っていた。

「生き、て……にい、さ……ら、し……」

誰の事を言っているのかは分からなかったが、どうやらこの悪魔はこの状況で、自分よりも別の誰かを心配しているようだった。
悪魔とは言えそんな心優しい者を、やはりオフィーリアは見殺しになど出来なかった。
 一先ず止血をしようとしたが、包帯を保管している倉庫はこの教会の裏側にあった。
取りに行っている間にこの悪魔が失血死してしまう可能性を考えて、止むを得ずオフィーリアは着ていた法衣の裾を破りそれを巻きつけた。
 止血した後は、彼を客人用の寝室に寝かせようと考えた。
火事場の馬鹿力か元々の悪魔の体重が軽いのか、大の男を運ぶのに苦労はしなかった。
それから彼の身体を毛布で包んで体温が下がらないようにすると、オフィーリアは彼に祈りを捧げた。
傷が早く癒えるよう、この悪魔が襲い掛かって来ないよう、そして出来ればトームに彼の正体がばれてしまわないよう、強く強く願ったのだった――。

 ――時は少し遡り、トームは悪魔を祓って欲しいと縋る町民達に囲まれていた。
その者達の話を全て聞き入れ、危険度の高いものを優先的に祓うようにしていた。
だがいくら祓えど、故郷を追われた別の悪魔がまた人間達を苦しめる。そんないたちごっこを続けながらも彼が悪魔を祓い続けるのは、両親の仇を討つ為に他ならなかった。
 今日の最後の依頼を片付けて帰路に就こうとしたその時、すれ違った女性の首筋がちらと見えて思わず彼女を呼び止めた。

「失礼、その首の傷はいかがなさいました?」

女性は驚いて足を止め、首筋の傷を手で確認した。どうやら気付いていなかったらしく、恥ずかしそうにそれを隠した。
その傷は綺麗に二つ並んだ穴の様で、トームはそれがただの虫刺されには見えなかったのだ。

「悪魔の仕業のように思えます。最近夜に妙な輩に会ったり、家に上げたりしませんでしたか?」
「嫌だわ神父様、いくらお仕事でもレディのプライベートに土足で踏み込むものじゃないわ。もし悪魔に会っていたら、とっくに貴方を頼っているでしょう?」
「……それは、失礼しました……」

不服そうな女性を前にトームは何も言えず、足早に去って行く背中を見送るしか出来なかった。

「まさか、まだ近くに居ると言うのか……?」

そんな独り言を漏らしていると、雨粒が彼の頭上に落ちた。
見上げると空は薄黒い雲で覆われている。遠くから稲妻が輝き、このままゆっくりしているとずぶ濡れになってしまう事が予想出来た。
しかしそれでは、妹のオフィーリアに心配をかけてしまう。トームは急いで教会へ戻る事にした。
 教会が遠目に見えてきたところで、稲妻がそこに落ちた光景がトームの目に入った。
妹の身を案じて慌てて走り出すも、地面が浸かるんで上手く走れなくなっていた。
 やっとの思いで教会に着くと、目の前に現れたのは割れたステンドグラスと血の飛び散った床だった。

「フィリー、何処に居る!? 返事をしてくれ!」

最悪の事態を想定してしまったトームは、思わず妹の名を叫んだ。
するとある客室から、少し気まずそうながらも無傷のオフィーリアが兄を出迎えた。
一先ず無事である事を確認出来たトームだったが、法衣の裾が破かれている事に気付くと顔が更に青褪めた。

「どうしたんだその格好は!? 淫魔型の悪魔に襲われたのか!?」
「落ち着いて、大丈夫だから。その、大怪我をした人が此処に来たの。意識も無くて急がないと危ないと思ったから、包帯代わりに……」

しかしオフィーリアの説明を聞くと、トームは次第に落ち着きを取り戻していった。
ステンドグラスはただ雷で割れただけで、床の血もその怪我人のものだとも説明された。
とは言え、年頃の妹にいつまでもそんな格好はさせたくない。
 トームは溜息を吐いてその客室のドアノブを握ると、今度はオフィーリアが血相を変えた。

「わ、駄目! 入っちゃ駄目!」
「怪我人は私が見ておくから、お前は着替えて来なさい。その怪我も悪魔の仕業だろうから、意識が戻ったら話も聞きたい」
「駄目! お兄ちゃんは入らないで!」

頑なに兄を部屋に入れようとしない妹に、トームは訳を訊いた。するとオフィーリアは目を泳がせながら、しどろもどろにその理由を話し始めた。

「だってお兄ちゃん、ずぶ濡れで泥だらけだし……。その人もお兄ちゃんに、その、見られたくないと思う……」

前半の説明は理解出来たが、後半の説明は不可解なものだった。
見られたくないとはどういう意味か。何故妹が良くて自分は駄目なのか。その理由を考えると、トームはハッとして顔を赤らめた。

「すまないオフィーリア、その方は女性なんだな?」
「えっ?」
「否、皆まで言うな。そういう事なら任せる。だが服は着替えなさい。その人もお前のそんな格好を見たらきっと驚くだろう。一先ず包帯と薬を取って来たら私は身体を洗いに行くから、その間しっかり看病してあげなさい。いいね?」

 幸か不幸か、兄の勝手な勘違いで怪我人の正体を隠す事に成功してしまった。
少し困惑しつつも、これに乗らない手は無いと少女は大きく頷いてしまったのだった――。

 ――悪魔ヴィギルは、暗闇に漂いながらも心が安らいでいた。
温かくて柔らかい、故郷には無い良い香りに包まれてとても心地が良かった。
自分は死んだのか。そう思っていたのも束の間、暗闇の奥から光が差し込んでヴィギルはゆっくりと目を開けた。

「あ、目を覚ましたんですね。怪我は大丈夫ですか?」

 自分が生きている事を実感していると、横から鈴を転がした様な声が聞こえた。
見るとシスター服の少女が、安堵した様な笑みをこちらに向けている。
その服装は天使に与する人間達のそれである事をヴィギルは知っていたが、彼女の笑顔を見ると何故だか警戒する気になれなかった。

「貴方は嵐と一緒に、この教会に飛び込んで来たんです。憶えてますか?」
「……此処は、教会なのか?」

 次の彼女の質問で、漸くヴィギルは口を開いた。シスターはそれが嬉しくて一層笑みを見せて頷くと、ハッとして体調を窺った。

「あの、苦しくないですか? その、聖なる力で身体が弱まったりとか……しないですか?」
「……これでも上級悪魔だ。この程度は問題無い」

 何処となく頭の悪い訊き方に、ヴィギルはつい自分の素性を明かしてしまった。そして気付いた。自分が今、角も翼も尻尾も隠していない事に。

「俺が悪魔だと、知ってて助けたのか?」

そして人間にしか見えないシスターにそう訊くと、ヴィギルが此処へ来た時の事を思い返しながら彼女は苦笑して答えた。

「……悪い人には見えなかったから」

ヴィギルは目を見開いた。天使ですら向けてくれなかった言葉だった。
ギュッと下唇を噛み締めて、溢れ出そうになった涙を精一杯堪えた。

「……あの、私はオフィーリアと言います。お名前を伺っても?」

 シスターは特に事情を訊く事も無く、自己紹介を始めた。オフィーリアに名を問われ、ヴィギルも気を落ち着かせて口を開いた。

「ヴィギル。ギールで良い」
「ギールさんですね。その、申し訳無いんですけど、あまり大声は出さないようにお願いしますね。傷に障りますし、そろそろ兄も風呂場から出て来ちゃうから……」

また苦笑してそう言うオフィーリアに、ヴィギルはつい顔を上げた。

「君にも兄さんが居るのか?」
「はい、トームって言うんですけど」
「トーム!?」

そして兄について訊いたところで、かなり腕の立つ祓魔師として悪魔達の中でも知られているトームの名を耳にして、つい身体がすくみ上がった。
そこまで有名だとは知りもしなかったオフィーリアは、ヴィギルの怯え様にただ戸惑う事しか出来なかった。

「ま、待ってくれ! 俺は誰も襲ってない! 本当だ! 悪魔は嘘を吐けないんだ!!」
「お、落ち着いて下さい! ギールさんの正体は、まだお兄ちゃんにはばれてませんから!」

一先ずそう言うと、ヴィギルは訝しげな目でオフィーリアを見た。
オフィーリアもそうは言ったものの、女だと勘違いをされてしまっている事は説明する必要があると思い全てを話した。
するとヴィギルの表情は疑念から嫌悪に変わり、しかし助けてくれた事には変わらないので礼は欠かさなかった。
それから妙な静けさが二人を包み込み、そこから脱したいオフィーリアが無理矢理に話題を変えた。

「そう言えば、ギールさんにもご兄弟が居るんですか?」

 先程ヴィギルに兄の事を訊かれた際、「君にも」と言う言葉があったのが少し気になっていたようだった。
ヴィギルはその質問に隠す事無く頷いて、弟も居る事を話した。

「じゃあ私と一緒ですね。血は繋がってないけど、私にも妹みたいな子が居るんです」
「妹? 君と君の兄さん以外の気配は感じないが……」

会話を繋げようと必死なオフィーリアに、ヴィギルはついその疑問を投げ付けてしまった。彼女よりも歳下なら、こんな夜の嵐の中で外へ出ているのはおかしいと思ったらしい。
するとオフィーリアは少しだけ寂しそうに俯いて、その理由を訥々と話した。

「あの子は、他にやる事があって……毎日此処へは来てくれるんですが、長居は出来なくて……」

ヴィギルはそれ以上は訊かなかった。自分が踏み込んで良い話では無いと悟ったようだ。
だが悲しそうなオフィーリアとは逆に、彼は少し安堵したような笑みを見せていた。

「良かった。仲が悪い訳じゃないんだな」
「え?」
「ラシーは……、いつも俺を見下していた」

そしてヴィギルもまた悲しそうに言ったが、オフィーリアの関心は既に別の方向を向いていた。

「ラシー……?」
「弟だ。フラッセオと言うんだが、ラシーと呼んでいる。数年前に家を飛び出して、今はどうしているやら……」

どうやらラシーは愛称のようだが、オフィーリアは同じ名前を今朝にも聞いたのを憶えていた。
 フラッセオという弟について詳しく訊こうと思ったその時、ヴィギルはまた突然怯え出して布団を頭から被った。

「フィリー、そろそろ夕飯にしよう」

その直後に、トームが部屋のドアをノックする音が聞こえた。
オフィーリアは慌ててドアに駆け寄り、ゆっくりと開けた。

「怪我人の様子はどうだ?」
「さっき意識を取り戻したよ。ご飯食べられそうか聞いてみるから、お兄ちゃんは先に食堂に行ってて」
「分かった。ああ、もうすっかり腹ぺこだ。なるべく急いでくれ」

優しい妹の言葉に微笑ましく頷くと、トームは踵を返して食堂へと向かった。
一先ずヴィギルに兄が去った事を報告すると、彼はまだ不安げな顔を覗かせていた。

「あの、悪魔って人間しか食べられないんですか?」
「気休め程度には、なる……」

 兄妹の会話は聞いていたのでそう答えると、ヴィギルはふとある事に気付いた。
今までずっと空腹に耐えながら生活していたが、何故か今はその空腹を感じないのだ。
しかしそれを異種のオフィーリアに伝えたところで何が変わるとも思えず、話そうにも既にそのシスターは部屋を出て行ってしまっていた。

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不尽子
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