夢と現
小さい頃から、不思議だったことがある。
私たちは、あまりにも自分の「視力」や「聴力」というものを信頼しすぎではないだろうか。
「自分が見聞きしたものしか信じない」という考え方があるが、人間の優れた構造にも限界というものはある。いくら信じないといっても、この眼球にも、鼓膜にも、届かない世界というのは確実に存在する。実際、自分の体を構成する細胞などのミクロの世界は道具を使わない限り見ることは出来ないし、上を見上げても宇宙というマクロの世界を直接見ることは出来ない。イルカの会話に使われる超音波は私たちの耳には届かないし、犬同士の会話を理解してあげることは出来ない。
コペルニクスが提唱するまで人類は地球を中心に太陽や他の惑星がまわっていると信じ切っていたように、今証明されている宇宙の実態は単にこの視力で見ることができる範囲での事実でしかないのかもしれない。
昔、「お星さまは大きな神様がこの世界を覗くために夜空に開けた覗き穴なんだよ」というお話を聞いた記憶がある。勿論、宇宙に簡単にいくことができるようになってしまった現代で、夜空は神様が黒い布をかけていて星はその覗き穴なんて本気で思っている人はいないと思う。けれど、このお話の視点の移し方は素敵だなと常々思うのだ。
例えば人間が蟻の世界を上から見ていることを蟻たちは知る由もないように、人間が切磋琢磨して宇宙のあれこれを調査している様子を、人間が想像することも出来ない大きな存在が上から覗いているかもしれないのだ。「宇宙に果てはあるのか」という疑問を未だ解決できていない人類には到底想像の出来ない世界が宇宙の先にはあるのかもしれない。
もっと想像力を含ませるならば、自分が生きているこの世界のこの空間で、人類の視力では把握することの出来ない生命体が違う時間軸の中で生きているという、複数の異世界が同時進行している可能性だってもちろんあり得る。これは今までの21年間の人生の中で実は何度も想像したことがある。多分どこかで見たSF映画の何かの影響だとは思うが。
「心で見る」「心で聞く」という言葉があるが、私はこれはただ良いことを言っている風の名言ではないと思っている。なぜなら冒頭で述べたように肉体の機能としての視力や聴力には限界があるからだ。
また、「夢」という不思議な存在についてだれしも一度は興味を持ったことがあると思う。睡眠中に見ている「夢」は、もちろん視力では見ていない。ではどこで見ているのだろうか。
「夢」の実態は日常生活の中で処理しきれていない多くの情報を睡眠中に処理しているなど諸説あるが、自分でコントロールすることの出来ない睡眠中に夢を見ているという事実が、潜在意識という存在の証明になっていると思う。自分で把握することの出来ない潜在意識、そして自分で把握することのできている顕在意識。これらの視力では見ることのできない「意識」というものは、「心で見る」「心で聞く」という考え方に最も近しい。つまり、肉体の先には「魂」や「意識」と呼ばれているものが存在するという事である。今の段階の私にはその「意識」や「魂」というものが具体的にどんなものなのかという事はわからないし、一生わからないままかもしれない。しかしこの肉体は単なる入れ物で、視力では見ることの出来ない「魂」や「意識」というものが別に存在するという考えをどうしても捨てきれないのだ。肉体が腐敗すればそれで終了。そんな簡単な世界ではないと思う。低俗でありきたりな言い方をするならば死後の世界のようなもの、つまり「魂」や「意識」だけが浮遊する世界は確実に存在すると思う。
ミュージシャンのやけのはらが『POPEYE』で連載していたコラムを一冊にまとめた『文化水流探訪記』という本の中で、私が当時影響を受けた一節があったので紹介する。
もしこの世界がすべて夢だとしたら。自分が信じているものが信じられなくなったら。あなたは本当にあなたですか?世界中の皆からあなたがあなたである事を否定されたら?どうやって自分が自分である事を証明すれば良いのだろうか。
この世界から、物事から、闇が無くなるとしたら、それは実に恐ろしい事だ。誰かが決めた闇。なかった事になる闇。排除される闇。自分が見ている世界だけが世界のすべてではないという当たり前の認識と、異界に対する想像力。
自分の姿を知らない犬が鏡を見てその姿に対して吠えるように、私たちは本当に自分のことをわかっているのだろうか。鏡や写真に写った自分を自分と思い込んでいるが、自分が見ている自分と他人が見ている自分の認識がそれぞれ違うとしたら。自分が自分だと思い込んでいる姿を世界中の人から否定されたとき、唯一自分を証明できるのは「自分は自分である」という意識そのものだと思うのだ。
そう考えると、夢の世界と現実の世界はどちらが夢でどちらが現実なのかわからなくなってくる。肉体のあるこの世界は、長い長い意識の流れ中で一時的に見せられている夢の世界なのかもしれない。
夢と現。意識と潜在意識。魂と肉体。
「私」がこの肉体から離れるとき、この世界は果たしてどう見えるのだろうか。
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