あの時、覚えたことは。
昔と今のお酒の違いを個人的な目線で書いてみようと思う。
今でこそコンビニやスーパーで買えるようになったお酒。
昔はお酒を売ってくれるお店、つまり酒屋さんだけがお酒を売る事が出来ていた。
お酒を売るためには販売権なる権利を持っている必要があった。
その権利を持つことでお店を構え、お酒を売るというシステムだったと思う。
販売方法の規制が時代の流れとともに緩やかになり、今ではどこでも売れるようになったと聞いた事がある。
父は酒屋を営んでいた。
その頃、街にはコンビニの「コ」の字は存在せず、その名の示す通り、便利なお店は私の街にはなかったそんな遠い昔の話。
小学校から高校卒業するくらいまでの頃だったろうか。
12月になるとお歳暮のシーズンが始まり、無休で大晦日の夜遅くまで働いていた。掻き入れ時ということもあってよく手伝いをした(というかさせられた)。
夏にはお中元というものがあり、冬と同様に忙しい夏休みを過ごした記憶がある。
休みは無しに等しかったが、正月のお年玉は半端ないものだった。
裕福な家庭とは言い難かったけれど、このシーズンだけは特別だった。
家=酒屋だったので、当たり前のように生活の中にお酒があった。
家の裏にはお客さんが持ってきた空き瓶や、在庫を貯めとくための倉庫があった。
今の若い人は知ってるんだろうか。
焼酎やビールの空き瓶がお金に換わることを。そういう風景も今では見る事がなくなってきた。
そもそも私も忘れかけていた記憶を引っ張りだしてくるくらいだから、当たり前ではなくなってるのかもしれない。
大人になって「うちが酒屋をやってた」なんて、話を持ち出すと「お酒強いでしょ?」とよく言われた。
弱くもなく強くもなくが本音なところ。
お酒には、嫌悪感を抱いていたくらい。
小学生だったからだろうか。
お酒の匂いが嫌だった。
にも関わらず、ビンの底に溜まった少量の残り酒を一つのビンにまとめて得体の知れない*お酒*を作っていた。
懐かしいな、こんな記憶が蘇るとは。
というか、それで酒好きにならなくてよかった…
父親が晩酌する姿は印象悪かったし、母に「おーい、ビール」という横柄な態度も気に入らなかった。母だって一緒に仕事してたんだからという思いがあり、何がそうさせるか私にはわからなかった。だから今でもお店で横柄な態度の客を見るとムカつく。
大人になってから進んで飲むということは今でもしない。
だから、お酒はどちらかというと嫌いである。
いつだったか。
社会人なりたての二十代、年上の同僚とよく飲みに行く機会があった。
お酒の飲みたさで行くわけでもなく、なんとなく年上の人たちと飲める雰囲気が好きで毎週のように居酒屋に通っていた。
そう、飲めない訳ではなかった。
お酒の良さも味わい方もわかんないまま過ごした二十代。
得たのはお酒を飲むと気持ちが良くなるということ。体がふわっと浮いたような、どこか自身を縛る鎖が緩んだようなあの感覚が好きだった。
自分の中でかけてたブレーキに「遊び」が生まれる感覚とでもいうのだろうか。飲み過ぎてダメになるということがなかったのは、小さい頃に覚えたあの記憶、あの遊びがそうさせたんだと思う。
今思えば、お酒の飲み方としての「アクセル」と「ブレーキ」の掛け方を学んだのかもしれない。
その経験値が活かされてるかどうかは謎である。
適度に飲むので回りの親しい人を誘って飲む機会も増え、楽しい時間を過ごせるようになった。もちろんお酒に囲まれて育った環境だけではないのだろう、若い頃に得た仲間たちとの飲み方、楽しい雰囲気にいろいろ教わった影響が今の私を支えてるのだと思う。
おかげさまでというか、飲みっぷりの before / after が良さげなのか女性を誘っても断られないのは嬉しい限り。
畏るべしアルコールパワー