魔都プラハでミュシャに会う
世界は広く、誰にでも、行ってみたいと思われる場所があることでしょう。
そうして、実際に行ってみた時の感激が大きいのは疑いもないはずですが、ほとんど予備知識もないのに行ってみて、その場所の風物に目を見張り、驚きを持って触れ、いつもの生活に戻ってきてからも熱が冷めず、思いの空白を埋めるように歴史を調べてみたりすることがあります。私にとってプラハは、そんな場所の一つです。
1991年にソ連が現在のロシアに変わりました。ソ連の前はロシアでしたから、名前を元に戻すだけでなく、これからどのように変わっていくのだろうか?とは考えたものの、当時、ロシアは元より、その傘下にあった東欧諸国に対して持っていたイメージは、人々は一様に貧しく自由がない暗い社会、といったようなものばかりで、好んでどんな場所なのか調べてみよう、行ってみようなどと思えるところではありませんでした。情報を得る手段も今とは比べ物にならないほど限られていた時代のこととは言えます。
プラハがヨーロッパ屈指の大都市として繁栄した最初は14世紀のことです。当時の神聖ローマ帝国の王となったカレル4世の肖像が、立ち寄った書店で山積みの本の表紙を飾っているのを目にして、プラハの人達には、この王様が特別の存在なのだろうか?と思いました。歴史上繁栄した時代というものは、きっと強い魅力を放っているものなのでしょう。黄金のプラハと呼ばれ、最初の繁栄を見たこの時期は、イタリア・ルネサンスの最盛期の少し前です。実際に行ってみるまで何も知ろうともしなかったところの歴史が、まるで光を放っているというような印象を受けたものです。
それにしても、14世紀はずいぶん昔には違いありません。しかし、ある人々、ある民族にとっては、歴史は教科書や本の中にある単なる事実の羅列のようなものではありません。自分に直接つながっているとみなす歴史上の時間が長いという風に考えてみるのはどうでしょう? そのような歴史観を持っている人がヨーロッパには少なくないように私には見受けられ、この点を理解していないと、なぜ、ミュシャが「スラヴ叙事詩」を描いたのか分からないのではないかとも考えます。
さて、2016年に訪ねた国立美術館の会場は、広い体育館のような飾りのない空間で、照明はぐっと落とされており、そこで作品を真近に見ることができました。
「スラヴ叙事詩」は、スラブ民族の歴史上のエピソードを題材にしているため、神話の時代を思わせる情景から始まっています。絶え間ない異民族の侵略と権力者の圧政に虐げられる立場にあった民衆には、スラヴの名の下に団結が必要であるという強い信念があって描かれた一群の作品、それがミュシャの「スラヴ叙事詩」です。
民族という概念の根底には、共通の居住地、共通の言語、共通の父祖、共通の神話というものがあるでしょう。生まれ育った土地に縛られない生き方が可能である今の時代では、民族という定義で人々を一括り(ひとくくり)にするのは難しいし、遠い将来には民族という考え方自体が薄れていくのかとも思われますが、ミュシャの生きた19世紀末期当時は、民族主義が大変な高まりを見せた時代でした。(同時期に生きたシュタイナーも、「民族」という概念を強調していますが、その言葉を通して訴えたかったことを理解するのは結構難しいことのように思います。)
絵の主題や描かれているモチーフについては、解説や書籍がありますので、そちらを読んでみられることをお勧めします。そもそもなぜ、この場面が選ばれて描かれているのか、ドラマのワン・シーンのような絵の登場人物は誰なのか、というようことは、やはり研究者の導きがないと分かりません。
ただし、それらの知識がないとしても、一枚一枚巨大なパネルの前に立てば、これ一枚描くだけでも相当大変だったろうと気づくのは当然で、それが20枚もあるのですから、これらを描き続けた画家の情熱は、一体どこから湧いてきたのだろうと、ただただ、その熱量に圧倒されます。
そして、なぜか、こう、うまく言葉にできないのですが、何か強く惹かれるものを感じずにはいられないのでした。強弱はあっても、どの絵からも、何か、こう、迫ってくる感じ。それは、意味ありげな人物が多く描かれていようが、荒涼とした戦場の風景であろうが、想像して描かれたであろう神秘的な空間であろうがあまり違いがありません。
だから、たとえば、こんな鑑賞の仕方はどうでしょう。「スラブ叙事詩」20枚の絵のなか、「これが好き」とか「これが気になる」ということで一枚を選び、それをじっくり見つめてみる。そこから受ける印象というか、呼び起こされる気分を味わってみる、自分の心の中に反映されるものを味わってみる、、、。
「スラヴ叙事詩」の魅力を私なりに挙げるとすれば、見る人の心に何かを呼び覚ます力があることだと思います。しかもそれは、美的、あるいは詩的、場合によっては宗教的なものと言えるでしょう。
そうして、こういう風に、見る者に働きかける作用のある作品を芸術と呼ぶんじゃないでしょうか。(では、そうでないものはどうかというと、それにはそれの存在価値が別にあるということだろうということです。)
そのような作用のある作品は、当然、象徴的で暗示的なものにならざるをえませんので、どんなに美しく見えても、産業革命以後、急速に工業化した時代の人々にとってさえ時代錯誤的であり、優美な装飾紋様も、機能面から考えれば全くなくても構わないものなので、アール・ヌーヴォーの流行がぱたりと止まってしまったのも説明がつくことのように思われます。
私がプラハにわざわざ「スラブ叙事詩」を見に行ったのは2016年のこと、今となれば大分前のことになりました。その翌年2017年に日本での展覧会が催されましたが、それまでの日本においてはリトグラフや装飾画ほどには知られていなかった作品群ではなかったでしょうか。
ミュシャがパリで制作した華麗な美人画(?!)は美しく、広く愛されましても、ファイン・アートの大作「スラヴ叙事詩」は近代に向かう時流に逆行するような主題ばかりで、発表当時は、あまり人気はなかった模様です。そのため展示先は、2012年までは出身地にあるモラフスキー・クロムロフ城でひっそりと、2012年から2016年まで国立美術館、2017年日本での展覧会の後から現在は再びモラフスキー・クロムロフ城にあり、ごく最近発表されたプラハ市とミュシャ財団の発表によれば、「スラヴ叙事詩」のための恒久展示場の建設に折り合いがついて、それは2026年に完成の見込みだそうです。
☆☆☆
プラハを訪れてから時間が経ってしまったものの、今年2023年に東京でミュシャを見たこともあり、当時どうしても現地へ行きたいと思った強い動機は何であったのかと考えながら図書館からの本を何冊か抱えていた日、タロットに来てくれたお客様がミュシャの絵のプリントされた服を着ていらしたのでした。その方は、2017年の東京での展覧会へ行かれたとの話で、タロットとは別に話が弾み、そのシンクロニシティがこのページにまとめてみる動機となっています。
プラハ城内にある聖ヴィート大聖堂北面にあるミュシャ制作のステンドグラスの写真を載せました。