
ゼーガペインはソゴル・キョウという人間の再生の物語である
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(この記事にはテレビアニメ「ゼーガペイン」のネタバレを含みます。ご注意ください。)
「ゼーガペインはソゴル・キョウという人間の再生の物語である」
そう言ったとき、この言葉は2つの意味を持つことになる。
通常、物語について同様のことを言った場合は意味は1つとなることが多い。ただ、ゼーガペインにおいては2つの意味が発生する。
そこがゼーガペインという作品のおもしろい点でもある。
今回はその話をしよう。
ゼーガペインはソゴル・キョウという人間の再生の物語である
では早速その2つの意味を見ていこう。
1つ目は物理的・生物的な再生の意味。
2つ目は精神的な意味だ。
勘のいい読者ならここでニヤッとするだろう。
物理的・生物的な再生
1つ目の「物理的・生物的な再生」は物語の核心部分だ。
ここで軽く物語のあらすじを確認しよう。
あらすじのおさらい
ゼーガペインの主人公 ソゴル・キョウは舞浜南高校の生徒。ある時、ひょんなことから人型ロボットのゼーガペインを駆り、敵であるガルズオルムを撃退する日々が始まる。
それではなぜガルズオルムと敵対しているか。それを一言で説明するのは非常に難しい。
まず前提として人類は地球上から生物として物理的に絶滅している。
では主人公たちはどういう存在かというと、量子サーバー(量子コンピューターを用いたサーバー)上の仮想空間に存在する人間のデータ(幻体)だ。
そしてガルズオルムは物理的に地球上に存在しており、デフテラ領域というものの拡張を進めている。このデフテラ領域は量子サーバーを破壊(=仮想空間の消滅=幻体たちの消滅)し、大気組成も大きく変えて人間の住めない星にしてしまう。
その侵略を食い止めるために主人公たちはゼーガペインを駆っているのである。
なお、主人公たち以外の幻体はこの一連のあらずじとして述べた事実すら気づいていない。
主人公たちの最終目標は何か?
ではその主人公たちの最終目標は何か。
それは「物理的・生物的な人間として復活すること」だ。
主人公たちは先述の通り、量子サーバーの海を漂うデータに過ぎない。
その姿は緊急避難先としての一時的なもので、本来の人間(物理的・生物的な人間)に戻ることが悲願なのだ。
そして、幾多の苦難を乗り越えてそれが実現する。それが最終話だ。
ここまで説明すれば1つ目の意味はご理解いただけるだろう。
精神的な再生
2つ目の「精神的」の意味。こちらは1つ目より言葉を丁寧に重ねなければ説明できない。
実は主人公のソゴル・キョウは一度幻体として死んでおり、物語の時間軸の彼はその幻体データから修復・復活された存在だ。
死ぬ前を「リブート前」、復活後を「リブート後」と呼ぼう。
その前提を置いたうえで説明すると、2つ目の意味は説明しやすい。
ソゴル・キョウはリブート前からリブート後、さらにそこから最終話にかけて精神的に再生している。
これが2つ目の意味だ。
どういうことかを順を追って説明しよう。
リブート前のソゴル・キョウと学習性無力感
まずはリブート前の彼はどんな人間だったか。
物語の中でも語られているが、彼はすべてを一人で抱え込むタイプだった。
実は先述のあらすじに記しきれていない様々な現実や経緯がある。
それを彼は1人で受け止め、発散できず、潰れてしまった。
また、これは個人的な印象ではリブート前の彼は落ち着きのあるように見えるが、どことなく達観しているというか、諦念にかられているように見える。
最近の言葉で説明すると「学習性無力感」に陥っており、その姿はとても脆そうに見える。
リブート後のソゴル・キョウと、突きつけられる現実
ではリブート後の彼はどうか。
天真爛漫、とまではいかないが非常に活発でポジティブだ。
この性格の変化がリブートによる記憶の欠落から来るものなのかはわからない。
ただ、明らかにリブート前の彼とは違う。
(むしろポジティブすぎて空回りしていることも多く、視聴していて共感性羞恥を感じることもある)
では「陰鬱な性格から陽キャになって良かったね」という話かというとそうではない。
なぜならリブート後の彼にも、リブート前の彼が受け止めきれなかったのと同じ現実が待っているからだ。
受け止めきれない現実の一部をおさらいしよう。
まず、主人公たちが生きている世界は真の意味の現実ではなく仮想空間、虚構だ。
「胡蝶の夢」的にどちらが現実でも虚構でもいいじゃん、とひょっとしたら思うかもしれないが、それは私たちが現実世界を生きている(と認識している)からそんなことを言えるのである。
仮に「あなたは仮想空間でシミュレートされているデータに過ぎません」と言われて素直に受け止められるとは思えない。
さらに受け止めきれない現実として、リセットがある。
量子サーバーと言えども容量が無限にあるわけではない。定期的にデータがリセットされる。
具体的には、主人公たちが暮らす仮想空間はある年の4月から8月末までをひたすら繰り返す世界だ。そして8月末にはきれいさっぱり4月の状態にリセットされる。
ただし例外があり、主人公たちのようにゼーガペインを駆る人々はリセットされない。
つまり、永遠に同じ4月から8月末を繰り返すことになる。
(「涼宮ハルヒの憂鬱」のエンドレスエイトを知っている人なら、あの話の長門の身になったと思えばいい。あるいは「シュタインズゲート」の鳳凰院凶真か。)
その身になったら発狂してもおかしくない。
そして、最終話に向けて
こんな現実があるならリブート前の彼のように学習性無力感に陥っても無理はない。
リブート前の彼は痛みから目を逸らすという、消極的な受容だった。
でも、リブート後の彼はそうならなかった。
毎話のように突きつけられる様々な現実や試練に対して、痛みを伴いながらもそれを受け入れ、克服していった。
痛みを直視し、それを受け入れた。
まさに是我痛。ゼーガペインだ。
最終話で彼はリブート前の記憶も回復する。しかし、それをも受け入れる。
それは過去の自分への決別ではなく、過去の痛みをも受け入れる姿勢だ。
そこには、もはやかつての学習性無力感に陥った彼の姿はない。
こうして彼は精神的にも人間として再生されたのだ。
まとめ
まとめよう。
「ゼーガペインはソゴル・キョウという人間の再生の物語である」
そう言ったとき、この言葉は2つの意味を持つことになる。
1つ目は物理的・生物的な再生の意味。
2つ目は精神的な意味だ。
1つ目は物語の核心と重なる。幻体から人間への再生だ。
2つ目はもう一つの物語の核心と重なる。ソゴル・キョウ自身の苦悩とその克服による精神的な再生だ。
通常は1つの意味でしか捉えることができない言葉も、ゼーガペインでは2つの意味を見出すことができる。
そこに私はゼーガペインのおもしろさを感じている。
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