はじめぼくはひとりだった
初めて彼の音楽を聴いたのは
高校生の時にラジオから流れてきた
[一本道]という歌だった。
"あぁ中央線よ空を飛んで
あの娘の胸に突き刺され"
というフレーズに衝撃を受けた。
フォークというジャンルに
捕らわれない日本人の心に優しく寄り添う
純粋な"うた"に感じた。
その出会いから数年後の1989年2月23日。
原宿のラフォーレ・ミュージアムで
友部正人主催の"待ち合わせ"という
コンサートが開催された。
ゲストは真島昌利。
こんな組み合わせ滅多に無い。
行かないでどうする。
友人を誘って行った。
小さな会場は自分達と同じように
10代の少年少女が多かった。
でも皆んな2人が発する言葉と歌に
真剣に向き合い座って静かに聴いて居た。
友部さんとマーシーは本当の兄弟のように
静かに熱く演奏し穏やかなMCを続けた。
1989年といえばブルーハーツが
前年に発表したアルバム[TRAIN-TRAIN]で
快進撃を続けていた時期。
陽性のロックンロールとは真逆の
マーシーの叙情的な歌とギターに
心を撃たれた。
同年の11月に発表されるマーシーの
初ソロアルバム[夏のぬけがら]にも収録される
友部さんの名曲[地球の1番はげた場所]も
この日のLIVEで演奏された。
そしてLIVE終盤。
ブルーハーツの[終わらない歌]も演奏された。
通常よりテンポを落とし噛みしめるように歌う
2人の歌声に痺れた。
その後すぐ友部さんの2枚組LIVE盤
[はじめぼくはひとりだった]を買った。
これが本当に衝撃だった。
フォーク特有の貧乏性や
しみったれた感情とは対極にある
洗練された叙情性で溢れていた。
"生まれて初めて覚えた事は
たった1人で居る事の幸福感"
"1度だって淋しいと思った事は無かった
生きている事は愛なんかより
ずっと素敵な事だった"
の歌詞が強烈な表題曲。
シングルマザーの母子と
ある男性の出会いを綴った[愛について]
そして個人的に1番好きな曲。
"君はフランス人の
書類第一主義のやり方に腹を立て
僕は日本人の曖昧なやり方に腹を立てる
君は台湾に行ってアジアが見えたかい
僕は東京に居てこの街もわからない
こんなにたくさんの人が生きているというのに
そんな悔しさに襲われる事は無いかい
夜になると
たくさんの街の灯が繋がって
1つになるのを見たことがある"
ニューヨーク。インド。フランス。台湾。
様々な国で暮らす友人と東京で暮らす自分。
同じ地球上に居るが僕らは
"分かり合えないまま
距離ばかりを大切にしている"
と歌う[遠来]
いつ聴いても鼻の奥がツンとし
落涙しそうになるこの感情は何なのだろう。
ちなみにこのアルバムの6曲目。
[びっこのポーの最後]にはデビュー直後の
SIONもゲストボーカルで参加している。
上記の原宿でのLIVEから2ヶ月後の
1989年4月26日。中野サンプラザで
開催されたSIONのコンサート終了後。
友人と廊下に出て帰ろうとしたら
目の前をマーシーが楽屋の方に歩いて行く
姿を目撃した事がある。
自分の好きなアーティストの
点と点が繋がった瞬間だった。
更に1992年に友部さんがカバーした
ボブ・ディランの[Don't Think Twice, It's Alright]
ではチャボがマンドリンを弾いている。
チャボは何回かSIONのアルバムにも
参加した事があるしチャボとマーシーは
対談やLIVEで何度も共演している。
たくさんの点と点が
切れないピアノ線のように
繋がるのが何だか嬉しかった。
このアルバムには
ロックンロールの凶暴性や
騒々しいサウンドは無い。
それでも真夜中の常夜灯のような
静かで温かい歌がたくさん詰まっている。