新月に願うこと
「粗目のヤスリでざりざりと心を削られてるみたいな日々だったよ。もう平気だけどね。」
仕事と人間関係でクタクタになっていた私は、そんなふうに近況報告をする。
駅前の花屋の隣に新しくできたカフェで、久しぶりにリエコと会った。
「…それすごく痛そうだね。」
リエコは、顔をこれでもかってくらいしかめて笑った。私もその顔を見て笑う。
「ツキノってさ、言葉のチョイスが斬新なんだよね、昔から。だからなんか深刻さに欠けるというかさ。あ、これ褒めてるからね。人に心配させないように言葉選んでるんだろうなってわかるし。」
私は、リエコのこういうところが好きだった。思ったことをまっすぐに伝えてくれる。
ここのお店のレモネードが有名らしく、二人で勢いで頼んでしまったけど、やっぱり珈琲にしておけばよかったね、と顔を見合わせた。
「斬新?そうかなぁ。たしかに深刻になるのは苦手かも。」
私は、スイーツのメニューとリエコの顔を交互に見ながら言った。
「なんで今日、ツキノに会いたくなったのか、なんとなくわかったわ。」
「ほほう。なんでだい?なんかあった?」
「ほらね、そうゆうところよ。」
私は、人の気持ちを察する能力がたぶんあると思っている。(たぶんね。)
今日、リエコに会ってすぐに「話を聞いてほしい」という彼女の心の声が聴こえたのだ。
なるべく自然に、さりげなく、深刻になりすぎず、話しやすい空気をつくって。言葉だけじゃなく、表情をみて。僅かな翳りを見逃さないようにしながら、ただ聴く。心の耳でね。それだけ。必要以上に詮索もしない。そうやって目の前の人と向き合うことを決めている。
実はさ、とリエコは話し出す。
今の仕事を辞めたいということ。夫との関係があまりうまくいっていないということを笑い話を交えながら話してくれた。それについての解決策など持ち合わせていないから、真剣に話を聴くだけ。安心して話ができる相手がいるということが、なにより大事なことだと思うから。
悩みは本人にしか解決できない。不安も迷いも選択も自分自身が向き合わなければならないものだから。ほんの少しだけ心を軽くするお手伝いができればいいなと思っている。
かつて私が、そうしてもらったように。
で、ツキノの"心ざりざり"の原因はなんなのよ。と、次はあんたの番よ!とでも言いたげにリエコは前のめりになる。
「いやぁ。私はいいよ。せっかくリエコがスッキリしたのにまた重くなるよ?」と苦笑いする。
するとリエコは、バッグの中からリップクリームを取り出してササっと塗った。
「あのね、私は他人のネガティブは受け取らない主義なの。」と、ドヤ顔を見せる。その顔があまりにも男前で笑ってしまう。
そうだった、そうだった。私はリエコのこういうところも好きだったのだ。
「…じゃあ聴いてくれる?」私はわざとらしく可愛い声を出してみる。リエコは、よしっ!言ってみろ。と太い声で答えた。
リエコ、男前すぎて惚れてしまいそうだよ。と笑うと、あらそう?と言って、振り返って右手をあげた。
「すいませぇ〜ん。珈琲をふたつくださぁい。」
リエコはとびっきり女らしい声で店員さんを呼び、注文をする。パチパチとわざとらしく瞬きをしながら。私は笑いが止まらなかった。
そして、この子とは一生友達でいたいと思った。
2時間ほど喋って、ふたりで店を出た。
秋めく赤黄色の風が気持ちよくて、一駅歩いて帰らない?と提案した。
「ツキノは相変わらず小さいわね。身長何センチだっけ?」
「148たぶん。今日は少し厚底だから150はあるよ、たぶん。」
リエコは、けたけた笑う。
私は、いたってまじめだ。
「ねえ。身長の話になると急に顔険しくなってるよ。」
リエコは、まだ笑っている。
「そりゃそうだよ。低身長はコンプレックスなんだから。165もあるリエコが羨ましいよ。」
「ツキノはそのサイズだからいいのよ。デカかったらちょっと引くわ。」
「みんなそう言ってくれるけど、慰めにしか聞こえない。」
なに?いじけてるの?と言って、私の頭をぽんぽんと叩く。「あなたの可愛さは、たぶん私が一番よく知ってるわ。」リエコは、私の方を見ずに呟いた。嬉しいこと言ってくれるじゃないの。
隣を歩くリエコを見上げながら、私は正直に呟く。
「今日は2回もリエコに惚れたよ。」
また笑うだろうと思っていたのに、リエコの表情はなんだか少し硬かった。あれ?なんか変なこと言ったかな。と一瞬、不安になったけど、すぐに笑顔になって「惚れろ惚れろ〜」とガハハと笑った。
_ 数ヶ月して、リエコからLINEが来た。
勤めていた会社を辞めて、フリーランスとして動き始めたこと、離婚したことをサラッと知らせてくれた。
私達は今も定期的に会って、とりとめもないことを話し、穏やかな時間を共有している。
そして、彼女がいつまでも幸せであることを、私は新月の夜に願い続けている。