子供が生まれました
実は先日子供が生まれました。3000gを超える立派な男の子でした。陣痛が長く、最終的には母子の安全のため帝王切開になり、母子ともに大変なお産となりました。陣痛が来始めてから24時間以上経過していました。
僕もほぼ24時間病院にいることができたので、幸いなことにお産の最初から最後まで見届けることができました。
緊急で帝王切開に切り替わった時。
その待ち時間はおそらく30分ほどでしたが、永遠の時のように感じました。1人部屋を何周したか分かりません。大切な大切な2人の命が懸った30分です。失敗率が高い手術ではありませんし、母子も危ない状況ではありませんでしたが、様々な悪いビジョンが脳内を駆け巡りました。1分があれほど長かったのは初めての経験です。
スマホを触り気を紛らわせようとしましたが、それはこの時空の体験ができる今、もったいないなと思い鞄にしまいました。
僕という人間は、小さい頃から常に最悪の想定をしてしまいます。この時も最悪の想定をしました。つまり、2人がいなくなってしまったらどうしようと考えていました。
自分は相手の幸せを本当に考えられていただろうか。自分は愛する人たちに後悔のない振る舞いができていただろうか。無駄な時間がたくさんあった。あの時間を有効活用すればもっと。感情的な言葉を発してしまった。あの時は自分ばかりを優先していた。
そこで出た答えとしては「このままでは悔いが残る」でした。
結果的に幸いなことに誰も死んでいません。かけがえのない命が誕生しました。ただ、誕生とは同時に死の可能性を孕みます。
「命は大切だ」と言いますし、僕もそれを分かったつもりでした。ただ、「自分は本当に自分や他の人の命を大切にできていただろうか?」という疑問が発生しました。
人は自分や大切な人が生きていることを当たり前に感じすぎてしまいます。僕も正直どこか当たり前に感じていました。
ただ、今回の命の誕生を見て、命があり続けることは全く当たり前ではないことを実感しました。
生命の誕生を見て、命の尊さを感じると共に、生命に常に伴う死という現象を感じました。
どれだけ命が尊いものなのか?そして命はいつ失われるか分からない。今回僕はお産でそれを感じましたが、事故で失われるかもしれない。何かの事件で、病気で、突然失われるかもしれません。
分かってはいました。そんなこと。ただ、今回その生と死をまざまざと感じ、「全く命の尊さを理解していなかった」ことがわかりました。
自分の挑戦もいつまでできるか分かりません。目の前の愛する人に与えることもいつまでできるか分かりません。周りの人への恩返しもいつまでできるか分かりません。
「タイミングじゃない」「またいつか」何かしら言い訳をして、僕らは動きません。これがどれほど命の大切さを無視していることか。
常にできるならタイミングは今しかないです。後でもあるかもしれません。ただ、その「後で」は不可能になってしまう可能性があるのです。
「いつか独立をしてお金を稼いで家族を旅行に連れて行こう」なんて考えて数年ぷらぷらしているうちに、家族の命が失われたら。その「いつか」は叶わないものとなってしまいます。
一生の悔いが残ります。
物理的な問題で「今」は不可能なのであれば、「できるだけ早く」に向けて動くしかありません。
命の尊さ。
この実感が浅かった自分自身にとても憤りを感じます。そして、ここから命の尊さを感じながら悔いのない人生を生きるチャンスをくれたことにとても感謝しています。
僕は悔いのないように生きていきます。時に判断を誤るかもしれませんが、「できることはやった。悔いはない」と言えるほど自分の人生を全力で生き、愛する人を愛し、周りの人を少しでも幸せにできるように生きていきます。
そしてもう1つ。「母親」は偉大です。
僕は男です。陣痛の痛みを理解することはできません。でも、痛みに悶え苦しむ妻を見てこちらの内臓までギュッと掴まれるような痛みを感じました。
近くにいる人でさえそう思うのだから、当人の痛みは計り知れないです。
そして、痛みの時間が長ければ長いほどお腹にいる赤ちゃんも頑張っているということ。
出産とは夫側のできることもたくさんありますが、お母さんと赤ちゃんとが約1年も前から協力して頑張っていること。
母と子に特別な絆が宿るのも当然のことです。
この世界で「出産」は当たり前に行われています。今日もどこかで誰かが生まれています。ただ、お産というのは命懸けですし、その命を懸け子供を生むお母さんという存在はすごいなと感じました。偉大です。
お母さんになると女性は強さが宿りますが、それもお産を見て納得しました。
「お母さん」は僕にもいますし、あなたにもいます。そして町を見ればお母さんで溢れています。世界に当たり前にいる「お母さん」という存在。本当にすごいんですよ。本当にすごい人たちです。世のお母さんたちは「私は子供を産み育てた(育てている)偉大なお母さんだ」と誇って生きてほしいです。
すみません。もう1つ書かせてください。
「生きる」ってすごくないですか?生まれてきた赤ちゃんを見て不思議に思いました。
なぜ、この生き物はついさっきまで僕らと同じような呼吸をしていなかったのに生まれてすぐ普通に同じように呼吸をしているんだろう?なんならくしゃみやあくびまでしている。
人間の仕組みに詳しい人であれば論理的にこうこうこうだからと説明できる部分もあるでしょうけど、こればっかりは「そういう作りになっている」としか言いようがないと思います。
僕は「そういう作りになっている」ということに感動しました。
そして、僕らは生まれる前からどこかに「生きる記憶」というものが存在するんだなということを深く実感しました。
お産は不思議なこと、感動的なこと、深い気づきの連続でした。今出生率は下がっていますがぜひ皆さん希望して授かれるのであれば命を誕生させてほしいと思いました。
愛する自信がないなら愛する自信がある自分、もしくは愛する覚悟を決めてください。
お金がないならお金を稼げばいいです。もしくは、お金がなくても育てている人を見てみるといい。
混沌とした世の中を生きることが可哀想なら僕らが少しずつでも変えていきましょう。
これ以上は当人たちの自由ですし言及できませんが、生命の誕生からしか体感できないことが沢山あります。そして、男性側はぜひ立ち会ってください。お母さんと同じ体験はできませんが、同じ空間にいるだけで得られることが沢山あると思いますし、お母さんも支えになると思います。
ここまで僕の日記のような文章を見てくださった方々ありがとうございました。生きるという奇跡を噛み締めて、自分を愛し、周りの人を愛し、生きてほしいです。もちろん僕もそうします。
最後に。お祝いしてくださった方、これを見てお祝いしてくださる方、ありがとうございました。