「ご夫婦ですか?」 と尋ねられて、 「「いえ、ちがいます」」 と異口同音に答えた。 とはいえ、服装も年代も夫婦と言われても違和感はない。 だが二人はあくまで仕事上のパートナーだ。 「また間違えられましたね……」 「まあ、不都合ではないわね」 こるからパーティに侵入するには、夫婦と見られる方が都合がいい。 「気合入れてね」 二人が向かう先には豪奢な屋敷があった。高級車が次々と停まり、中から綺羅びやかな衣装の男女が降りてくる。二人もそれに続く。 「すごいな、ニュースやゴシップでよ
暗い廊下を歩いてくる人物がいる。手に持つキャンドルの灯が闇を照らす。ゆっくりとした靴音が石畳を鳴らす。段々と近付いてくる。 少年は物陰に隠れていた。なんとかあの灯をやり過ごそうとしていた。 だが。 「見つけましたよ」 暗い、低い、感情の籠もっていない声が少年を覗き込む。 ひ、と少年は飛び上がる。 「そこにいたんですね。さあ、一緒に戻りましょう」 ここは地下通路である。広大な地下工場の一角にある。少年はここで働いていた。 1年の終わりが近いこの時期は、特に忙しくなる。全世界の子
丘の上は風が強い。髪を靡かせながら、綾瀬は立つ。視線の先には街が見える。これからあそこへ向かうのだ。 振り返ると、残してきた村が見渡せる。通っていた学校、よく通っていた駄菓子屋、幼馴染と駆け回っていた路地、そして好きだったあの子。たくさんの想い出が詰まった村を出て行くのだ。 再び綾瀬は街に向き合う。 折り重なる山の裾野の先を見る。 あの街に、奴はいる。父を、母を、弟を殺したあいつ。 顔は覚えている。あの夜、幼い綾瀬は咄嗟にクローゼットに隠れて助かったのだ。扉の向こうから家族の
春になろうかというある晴れた日の午後だった。その時私は夫と近所のショッピングモールへ出かけていた。夫が店を見たい、というので、私は待つことにした。吹上のモールの2階、通路にある透明なガラス手摺に右半身で寄りかかっていた。 ふ、と前を見ると、おじさんが歩いてきた。セーターにズボンという、ショッピングモールに相応しいラフな格好だった。知らない人だ。こちらへやって来る。 なんとなく、当時SNSで話題になっている「ぶつかりおじさん」を思い出していた。駅の通路などでわざわざ女性めがけて
この二三日、急に気温が低まった。それ故か、体の動きも鈍まった気がする。日が差せば暖かくもなるが、そうでない日は本当に寒い。ヤバい、死んでしまう。 少しでも暖かいところへ……風の届かない所へ…… 辿り着いた先は、木の皮の下だった。南向きで北風の届かない、木の幹。運よく日が差せば暖かさも期待できる。 同じことを考えた奴もいたようで、既に先客がいた。端から入って、風が当たらない、なるべく中心へ……と向かうが、皆同じなので中心から端へ、端から中心へとグルグルと回っていく。 そうこうし
子猫がいた。街の片隅のゴミ捨て場。捨てられたのか、迷い込んだのか。 子猫はすっかり空腹だった。もう3日も水しか口にしていない。立ち上がろうにも力が出ない。ぐったりとうつ伏せていた。 そこへ、烏がやってきた。なにか餌でもないかと探しに来たのだ。烏は猫に気がついた。動かないようだとわかると、近づいていった。 このまま子猫が死ぬならば餌にもなるだろうが、今は生きている。なにより小さな子供が死にかけているのは居た堪れない。 「おい、どうしたね」 烏が尋ねると、子猫はやっと目
龍は空を飛んでいた。晴れた空、今は雨を降らせる気分でもない。 ふと下を見ると、なにやら白いふわふわしたものが道を進んでいた。綿毛よりも大きく、兎よりは小さい。 長い年を生きてきた龍にも見たことがないものだった。 下界に降りる。 竜の体は大きいため、何本もの木を薙ぎ払うことになった。これは仕方がないことか。 地面に接するのは何百年ぶりだろうか。腹を地面に押し当てて、ふわふわを眺める。 目は、ないようだ。だが一心に進む方向が「前」なのだろう。 足も、ないようだ。だが転がらずに進ん
一面にススキが揺れていた。夜空には三日月が輝いていた。 丑三つ時。 ススキの根元で大きな尻尾の狐が歩いていた。時折ススキの合間から尻尾が見え隠れする。 時々立ち止まっては空を見上げる。ススキの穂を枠とした星空が見える。 「この辺だと思ったんだけど」 狐が呟く。 「もう少しこっちだったかな……いやあっちかな……やっぱりこっちかな」 夜空を見上げてはウロウロと歩く。 やがて 「やあ」 と空から声がした。 狐はパッと顔を上げて、声の主を探す。 すると、上空からフクロウが飛んできた。
いつからだろう、私ではない別の誰かの感覚を感じることがある。 例えば、部屋の掃除をしている時に突然弾むような気持ちになったり、カフェでコーヒーを飲んでいる時に前触れもなく怒りが込み上げたり、トイレに入っているのに胸が高鳴ったり。 最初は自分がおかしくなったんじゃないかと疑った。 だけど繰り返すうち、感じる感情があまりに脈略がないので、どこかの誰かのものなんだと確信することになった。 それは誰かはわからない。 時間が経つにつれ、その感情を強く感じるようになった。弾む気持ちの中の
龍は空を飛んでいた。 ふと下を見ると、なにやら白いふわふわしたものが道を進んでいた。綿毛よりも大きく、兎よりは小さい。 長い年を生きてきた龍にも見たことがないものだった。 下界に降りる。 竜の体は大きいため、何本もの木を薙ぎ払うことになった。仕方がない。 地面に接するのは何百年ぶりだろうか。腹を地面に押し当てて、ふわふわを眺める。 目は、ないようだ。だが一心に進む方向が「前」なのだろう。 足も、ないようだ。だが転がらずに進んでいる。 口や鼻や、手もしくは前足もわからない。 な
寝室に大蛇が出るなんて思いもしなかった。 私の寝るベッドの脇。 天井に着きそうな頭が見下ろしていた。 「まだ寝ていなかったのか」 はっきりとそう言った。 蛇なのに。 瞬きしない眼。チロチロと口から覗く紅い舌。 眠ろうとしていたのに、眠気がすっかり飛んでいった。 「あの……何か……」 と間抜けな問いしか出てこない。 それはそうだろう、こんな大蛇に見下されて、しかも喋る。 「私は君の夢を食べていたんだ。毎夜毎夜」 夢を食うのは獏ではなかったか。 「君の夢は美味でな。だが来るのが早
俺が何をしたっていうんだ! そりゃあ、損をした客には悪いことをしたよ。だが市場の動きなんて完璧に分かるものでもないし、だいたい自分で調べもせずに、人任せで運用しようってのがそもそもの間違いなんだよ。考えても見ろよ?どう考えてもこの業種はこれからも必要とされる、つまりは固い会社なんだよ。それがまさか、経営責任者が違法薬物所持で逮捕されるなんて、誰もが予想できなかったじゃないか。その上、この会社だけでなく、そこからこの業種全体が下がるだなんて、それこそ予知能力でもない限りわかりゃ
いま、まさにかつては想像していなかった未来である。ほぼ毎日なにがしら小説を書いて、noteを含め、いくつかのサイトに投稿しているだなんて。 それは、今年、2024年の7月下旬のことである。 墨佳遼さんの著書『蝉法師』を購入したのである。 法師姿に擬人化された蝉たちが、嫁探しの珍道中を繰り広げる話である。熱い、情熱的な話であった。その話の骨太さと描画の美しさに、著者に興味を持った。 「墨佳遼」を検索すると、氏のサイトが見つかった。 そこで「ニヒト」に出会った。 「ニヒト」は
その日は嵐だった。吹き荒ぶ風が木の葉を散らし、町中のゴミまで吹き飛ばしていった。風は夜更けになっても止まなかった。 斎藤敦史は日課のランニングができずに燻っていた。特に目的があるわけではなく、ただただ走るのが好きだった。滅多矢鱈に走るのは、流石に高校生としてはいかがかとようやく気づき始めたので、堂々と走れる「ランニング」でその欲望を発散していた。 普段は歩いている。 日中走れず持て余す気持ちで夜空を眺めていると、ふと風が止んだように思えた。 一も二もなく外に飛び出し、彼はラ
背の高い薄の野原を和真は歩いていた。時々振り返り 「本当にこっちか?まだ行くのか?」 と尋ねる。 後には狐がいた。 狐は話さず、頷いたり首を振ったりして意思を伝えているようだった。 「まったくどうしてこんなことに……」 などと呟きながら和真は行く。 薄を掻き分け掻き分け歩いているうちに、地面の感覚が変わってきたように思えた。これまでのフワフワした感触から、石が敷き詰められたような硬い感触。ゴツゴツしていて安定も悪い。 気付くと石畳の街に着いた。気がつくと薄もない。 「あれ?」
その日は晴れていた。雲一つもない快晴である。秋の初め、まだ威力が強い太陽の光が地面や海面を照らし、上昇気流を作り上げていた。 それを待っていた者がある。 鳶である。 翼を広げると160センチにもなり、その翼に上昇気流を受けて高く飛ぶ。よい気流をつかまえればその高度も増すことができる。 次々と周囲の鳶が高く舞っていく中、その鳶はまだ松の木に留まっていた。その年に生まれ巣立ちから日も浅い若鳥である。 理屈はわかる。翼に風を受けることも何度もできてはいる。だが、あんな高度まで舞い上