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ここ そこ あそこ どこ

【ここ そこ あそこ どこ】

ノンタオ村や、チェンマイ滞在時に飲んだコーヒーはどれも美味しく、

これはもう、掛け値なしでタイコーヒーは世界トップレベルの品質に到達した実感はあり、楽しみで仕方がない気分で帰国しました。

珍しく、二人で

 ですが、帰国してからが大変、帰国後最初に自分で淹れたのは、リー君のAkha ama ,dry process で、もはやブランデーのようで、コーヒーでの概念を超えていると、周りからも驚きの声が上がるほどの美味しさ。

創業者のリー君のお母さん
ブランデーのような芳醇さ


知ったが終い、この味を目指して超えていかなければならないのかと、とても重圧を感じました。

ノンタオ村のコーヒー豆たちも、過去最高品質ではあったので、焙煎・抽出のいずれにおいても試行錯誤の時期が続きました。

帰国して最初に飲んだコーヒーが一番美味しく、それからは淹れても淹れてもその味には到達しない日々は中々に辛いものではありました。

ようやくコーヒー豆たちとの呼吸が合いだしたのは九月中旬くらいからで、そこからは全くの迷いもなく、今も自信を持って皆さんにご提供させていただいております。

とは言え、それでもLAPATOの豆はまだまだ伸び代だらけです。

 先日のSCAJには、タイの仲間たちも出展する為に来日、長らく行っていなかった展示会ですが、会いに行かないわけにはいきません。

会場でいただいた5種類のコーヒーの上品さに驚きました。

タイコーヒー界の重鎮、リダ
ポットで保温されてもこの酸味が出せるのかと脱帽


タイコーヒーの黎明期から今まで、地に足をつけて地道に生産地と関わり、共に成長しながら活躍してきた人たちです。

そんな彼ら、彼女らが扱う豆たち、偉大なり。

LAPATOも、もちろん素晴らしい、けれど、及ばずというのが正直なところです。

まだまだ自分自身も、生産者も、成長と進化が必要です。

植物防疫の検疫官より褒められる美しさ

今は手元に授かっている豆たちを丁寧に扱いながら、次なる高みを目指すべく、次の訪チェンマイを楽しみにすることにします。

今回、展示会でいただいた焙煎豆は少量のため、ゆきすきのくにカフェのお客様へご提供となりましたが、いずれはLAPATOの豆たちと共にチェンマイ・チェンライの個性豊かな豆たちも選べる形でタイコーヒーの奥深さを楽しんでいただけらと考えておりますので、お楽しみに。

多彩にして光り輝く存在感


飲み比べてみると、個性がより伝わります🇹🇭☕️🙏

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お陰様で、先日、40歳を迎えました。

ここまで日々を過ごしてこれたことが、有難いです。

高校生の頃、学校の先生や親からは、生意気だの、態度が悪いだの、口が達者だの、お互いが幸せになれない関係性が続きました。

大人って面倒くさい、自分の気分や都合で物事を決めている人たちだということを見抜いていたのと、人は結果を出せば周りを黙らせることが出来ることがけっこうあると信じていたので、そんな大人たちと同じくらいの年齢になってもうそんな言われも扱いもされないだろうと、早く40歳くらいになりたいと真剣に思ってました。

そんな40代、どう生きたいか、どう在りたいか、のことを明確に描いて日々を実践するべく、30代後半から準備をしてきたので、今はとても楽しみな気分です。

私の人生において、タイ王国という国との関わりはもう人生から簡単には切り離せないところにあります。

それは概ね、コーヒーに関するものですが、やっぱり背景というか、そこに暮らす人々に興味・関心があるからです。

基本、人と関わることが好きですし、日本で日頃感じる息苦しさのようなものはタイでは感じないです。

言葉が通じないところから始まる関係性なので、気楽に入っていけるということもあるのでしょう。

とりわけ、山岳民族の質素でありながら洗練された暮らしや、自然への畏怖を持ちながら共生をする姿には、昔の日本人もそうやって暮らしていたのでは無いかと、時代的には味わっていないものの、それでも懐かしさは感じずにはいられません。

なんとなく、肌に合う、としか表現できないのですが。

その感覚的なものを紐解きたいという好奇心と、海外へ行った時に自分は日本代表として接すると勝手に自負していて、日本の事を色々と好奇心から聞かれても答えられない自分の恥、情け無さも相まって、日本のしきたりなど、民俗学を学ぼうと思い立ったのが3年程前です。

西荻窪の母こと、井戸さんのカフェを訪れたのは11月のある金曜日です。

学びとは、理論と実践の両輪だと考えているので、生活に根付いた実践的な学びはとても有難いです。

日本人は、古から祀ることも、儀式も大切にしてきた。

タイのイサーン地方でも、山岳民族のそれぞれの村でも、儀式は必ず執り行われます。

世界中、人間は、祈る。

「いただきます。」と、「ごちそうさま。」は、祈りなのか?

昔から、いちいち色んなことを考える癖があり、頭の中にある、「なぜ?」を解決するまで終わらないのです。

これからの10年も、その思考は変わらないと思います。

学びに終わりは無いので、日本とタイの両国を照らし合わせて、行き来をしながら、見識を持つことが出来ればと思います。

先日、Facebook でも書き込みましたが、

「これからもっと楽しい人生になっちゃうね。」

と、仲間と話せるほど楽しみな今日この頃です😘


大野氏、あっこちゃん夫婦


1日1日を丁寧に、修行は続く🙏

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