僕の友人は、知人に僕のことを話す時、こんなふうに言う。 「あいつは5月にカレンダーを買うような奴だけど、悪い奴じゃないんだよ。」 僕の母はお酒を飲んだ時、僕についてこう語っていたそうだ。 「あの子には幼い頃厳しくしすぎたのよ。まさか5月にカレンダーを買うなんて。」 僕は5月にカレンダーを買った。トイレに掛けるものが欲しかったのだ。そのことを周りの人に話すと、彼らはもれなく僕を軽蔑し、そして僕の周りから離れていった。僕が5月にカレンダーを買ったという噂は街中に広がり、遂
いつからか私は自分の本心が分からなくなっていた。自分が何を求めているのかさっぱり見当がつかないのだ。私は本をよく読む。しかしそれは本当に好きだから読んでいるのか分からない。もしかすると、本を読むのは偉いことだと思っていて、誰かに褒めてもらうために読んでいるのかも知れない。 そんな私にも心から好きと言えるものがあった。隣町にあるイチョウの木だ。それは一本だけでぽつんと生えていて、とても大きく、美しい。キリンでも敵わないくらい高くて、大人5人が手を繋いで作る輪くらいの周囲がある
歌詞のようなものを書いてみました。 メロディはまだありません。 月光に映える鱗雲 夜気を纏った風 君と歩いたあの夜は とても素敵でした ぼんやりと続く街路灯 しんとした夜の街 僕らの足音だけがあたりに響く 互いに口数は少なかった ただ同じことを考えていたと思う この夜が明けないのならどんなに良いだろう あてもなく ただ夜を歩いた 信じたくないんだ 僕らが何かに依るなんて 昼の暑さを感じさせない この夜のように自由でありたいよ しかしアスファルトはほんのりと 熱を帯びて
あらゆる言葉を花で表現できたのなら、世界は今よりも良くなるに違いない。人々はバック一杯の花を持って出かけ、言葉の代わりにそれを渡す。おはようは紫のコスモスに、ありがとうは白のスイートピーに、お疲れ様は黄色のチューリップに置き換わる。事あるごとに花を渡し、それと同じだけ花を受け取る。そのため、帰る時も相変わらずバックは花で一杯である。家に帰ると、それらの花を意味ごとに分けられた花瓶に生け、今日受け取った言葉を反芻する。 愛する人への告白の日には、この日のために育てたとっ
秋が近づき、訳もなく寂しい夏の終わりに、公園で一人、ベンチに座っている。さらさらと撫でるような親しみのある風と、木陰のハーモニーが気持ちよく、何を見るわけでもなく、ただぼうっと前を見ていた。ベンチに落ちる木陰の位置は時間と共に変化し、それに伴い、私は座る位置を少しずつ変えていた。最初はベンチの右端に座っていたが、今は左端に追いやられている。もうすぐベンチ全体が日なたとなり、ここを去らなければならないだろう。陽に抗えない自分の情けなさに、なんだか笑えてくる。ふと喉が渇き、コ
夜風に吹かれながら、僕は鍵盤を叩く。月光に映える鍵盤は、いつも以上に白く見える。下手くそで内気な僕は、ピアノを人前で披露したことはないし、今後も誰に聴かせたいとも思わない。ただ、今は人の目を気にする必要はない。ここは森の中、世間とは切り離された空間だ。森にピアノを運ぶなんて、気でも狂ったかと思われるかもしれないが、特に理由はない。また、それは金持ちの道楽と言うわけでもない。その証拠に、私は、明日も生計のために出社せねばならない、しがないサラリーマンである。そんなことは忘れ
重大な2つの選択を迫られた私は、そのどちらでもなく、ただ川に流れることを選んだ。その川は3つの県境をまたいでおり、水流は緩やかである。私は川のどこから流れ始めるかが非常に重要なことだと思ったため、最適な場所を入念に探した。幾つかの候補の中から、すすきが生い茂り、静かで人の少ない場所を始まりとした。出発する時間は夕方と決めている。それは考えるまでもなく明らかに思えた。決定事項を手記に書き込み、寝床についた。決行は明日である。 翌日、朝早くに目を覚まし、コーヒーを淹れ、