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不妊治療に疲れた夫婦が一匹の保護犬と出会う話

「子供ができたら生もの食べられなくなるし今のうちに思いっきり食べるぞ~」
福井県は東尋坊にて。海鮮丼を目の前に妻は高らかにそう宣言した。
明るく前向きな様子の妻に僕は思わずにっこり。僕の右手には箸。左手には短く持ったリード。リードの先には1匹の犬。

僕たちはこの夏、初めてペットを引き連れて旅行にでかけていた。

*****

「保護犬を迎え入れたい」
妻がそう言ったのは不妊治療の気晴らしで出かけた伊勢旅行帰りの車中だった。

義妹や周りの友人たちが次々と子供を授かっていく中、僕たちはなかなか授かれず不妊治療を受けていた。そんな僕たちの夫婦仲は決して良好とはいえない。
当時は特に夫婦間で治療に対する温度差があり、僕は決して協力的な旦那とは言えなかった。そのため治療のことで言い合いになることも少なくなかった。

なので「今月もダメだったら犬を飼いたい」という妻の申し出を断らなかったのは妻に対する罪滅ぼしでもあった。
それくらい妻の憔悴ぶりは激しく、リセット日がくると朝から激しく泣くことも。そして、そんな姿を見て無力な自分に絶望することもあった。


そんな最中、旅行帰りの車中で妻が
「家に帰ったらまた治療の日々に戻っちゃう。この息が詰まったような生活に癒やしが欲しい」と話し始めたのである。そして冒頭のセリフ。
僕は一言「わかったよ」と言い、そのまま名古屋周辺の保護施設を巡ることにした。

「飼うなら絶対保護犬!」と妻は常々口にしていた。
妻は実家で犬を飼っていた経験から犬に対して思い入れが強かった。
そのため、保護施設を巡ることが決まってからの妻の行動は早かった。
あっという間に保護施設をいくつかピックアップして回る順番を手際よく決めていった。

昨年まで妻の実家でシュナウザーを飼っていたこともあり、妻の希望はシュナウザーだった。僕はどちらかというと性格を重視していたので犬種にはあまり関心がなかった。
穏やかで躾もしやすそうだといいな、くらいに考えていた。僕の最優先事項は妻の精神の安寧だったから。


出会いは最初に訪れた保護施設にあった。
ゲージの中を走り回る犬たちのなかに1匹のシュナウザーがいた。早速スタッフさんに声をかけて抱っこさせてもらう。妻の方を見るとすでにほっぺたが緩みきったデレデレとした顔つきになっていた。
僕は妻をここまでデレデレにできたことがあっただろうか...?
慣れた手付きで犬とふれあう妻を見守っていると突然「抱っこしてみる?」と尋ねられた。
「お、おう...」
「お腹から前足のあいだに腕を通すようにね」
妻に教わりながらおそるおそる抱きかかえた。
結構重い...そしてなにより温かい
僕も硬くなっていたが犬も緊張しているのがわかった。横でスタッフさんが「人懐っこくて他のワンちゃんたちともうまくやってますよ~」と言うのを妻がふむふむと頷いて聞いていた。
とりあえず、あと2店舗周る予定だったので後ろ髪を引かれる思いで1店舗目を後にした。

その数時間後、僕たちは再び同じシュナウザーを抱きかかえていた。

結局その後訪れた2店舗にはシュナウザーはおらず、他の犬も抱っこしたり触れ合ってみたが(特に妻の)心を打つ犬とは出会えなかった。
「やっぱりあのシュナウザーが忘れられない...。でもこんなあっさり決めちゃって良いのかな...」と妻は悩んでいるが、車は最初の店舗へと再び向かっていた。
「いいんだよ。犬を迎え入れたい気持ちがあるんだから、このまま家に帰って数日悩んでもきっと変わらないよ」
「そうかなぁ」と悩み続ける妻を半ば強引に連行する。
僕はこういうときの妻が実はもう飼いたい気持ちがほぼ固まっていて後押ししてほしいだけということをよく知っている。何より妻の顔が悩んでいる人の顔つきではなくどちらかと言えば恋する乙女の顔に見えたのだ。

「すいません。この子を引き取りたいのですが...」
先程の店員さんにそう告げる。店員さんも僕たちが戻ってくることがわかっていたような顔をしているのがなんか恥ずかしくてちょっと悔しかった。
そこからは審査の手続き。あれこれと僕と妻の情報を記入して後日審査の結果が出るまで待つということでその日は帰宅した。
僕たちが引き取る予定のシュナウザーは終始「なんこれ?」という顔をしていたのが面白かった。

しばらくして審査の結果が出て、無事引き取り日まで決まってからは大忙し。義実家から当時使っていたゲージやらトイレセット、マットなどを頂いて足りないものはネットや店頭で買い揃えた。
2人であれこれ話し合いながら買い物をしていると「あぁ、子供が生まれたらこんな風になるんだろうなぁ」と思わずにはいられなかった。それは妻もきっと同じだっただろう。

名前に関してはギリギリまで悩んだ。
女の子ということで可愛らしく洒落すぎない名前にしようというテーマで2人で案を出し合い、最終的に『つきみ』にした。2人の好物でもある某ハンバーガーから頂戴する運びとなった。
自分たちの名字と合わせて口に出してみる。いい感じだ。2人ともとてもしっくりきていた。

引き取り日当日、僕たちは用意した犬用のキャリーバッグを持って保護施設を訪れた。何はなんだかわかっていない様子のシュナウザーもといつきみを引き取った。スタッフさんからなかなか離れようとしないその姿に笑ってしまったがなんとか引き取り、記念に写真を撮ってもらった。

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まだまだ嫌そうな顔をしているつきみ


そうして僕ら夫婦とつきみの生活が始まった。

正直飼う前までは(世話とか大変そうだしなぁ。妻の精神面のために頑張るか...)と思っていたが、いざ一緒に過ごしてみると可愛くて可愛くて仕方がない。
ぷりぷりした足取りで歩く姿、もふもふの毛並み。つきみもはじめこそ顔もこわばって散歩にもなかなか行こうとしなかったがひと月経った頃にはすっかり我が家のソファを占領するようになった。

妻との会話も増えた。
つきみを通して家の中でもよく話すようになり、家庭に声が増えた。
朝が弱い妻に代わって朝の散歩は僕の役目だったが、夕方の散歩は2人で行くことも。散歩をしながら仕事のことや不妊治療のことなど色々と話し合った。なにより散歩は良い気分転換にもなった。
夫婦喧嘩も目に見えて減った。たまに言い合いをしてもつきみが呑気にかまってほしそうにウロウロしている姿を見ると和んでしまうのだ。

本当に飼って良かった。心からそう思える。

以下、思い出をダイジェストで書き記す。

誕生日会

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実はイスの下でつきみを支えている妻

誕生日が正確には不明だったので妻と勝手に決めてお祝いした。
当日はケーキも用意して口の周りをクリームだらけにして食べている様子が可愛かった。5才の誕生日おめでとう。


記念撮影

つきみはどこを見てるの?

結婚記念日にカメラマンの方にお願いをして記念撮影。
タイミング悪くつきみに生理が来てしまい白いシャツが汚れてしまったが全然いい。


福井・石川旅行

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ちょいワル風つきみ


冒頭にも書いたが東尋坊などペットと巡れる観光地やホテルを探して一緒にお泊り。温泉にも入った。
初めての車での長旅、おつかれさま。

*****

つきみを保護施設から引き取って10ヶ月が経った。
妻と2人で作成した写真フォルダにはつきみとの思い出が800枚ほど保存されている。
ここに全てアップしても良いのだが、まぁ、それはまた別の機会にでも...。

まだ僕ら夫婦の間に子供はいない。
「もしこのまま子供を授かれなかったら...」そう考えることも少なくはない。
だが、それでもいい。

今の僕たちにはそう思えるだけの存在が今ここにいるのだから。

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