先輩の習い事、あるいは僕が初めて対峙した宗教について
「はい、食べてみて。さっきより塩辛くなってるから」
そう言って目の前に差し出されたポテトを僕はしばらく見つめることしか出来なかった。
得意げな顔で僕を見つめるSの顔を視界の端に捉えたが、僕はあえて気付かないをふりをしていた。
*****
Sとの出会いはリサイクルショップでのアルバイトだった。
地元にオープンするということで、当時大学3年生だった僕は即座に応募した。
数百名の応募の中から見事オープニングスタッフとして採用され、古着担当スタッフとして働くことになった。
勤務初日、オープニングスタッフたちの中でひと際背が高く色白で柔和そうな雰囲気を持つ人がいた。それがSだった。
当時Sは24歳のフリーターで同じ担当だったためシフトが被ればよく会話をした。
「お金がない」と口癖のように言う割には週4程度しかシフトに入っておらず、そんな彼を「フリーターなんだからもっとシフト入ればいいのに」と内心思っていた。
天然でおっちょこちょい、忙しくなるとすぐにテンパってしまう、そんなSはみんなから愛されていた。
ある日、シフトに入っていると非番のはずのSがふらふらとした足取りでバイト先までやって来た。
「あれっ、Sさんどうしたんすか」
と尋ねる声にも耳を貸さず、そのままカウンターに入ってくるやいなや
しゃがみ込んで泣き始めた。
彼女に浮気されたとのことだった。
話を聞きながら僕が感じたことは
「そこまで好きな人なんだな」ということと
「このバイト先がSにとっての”拠りどころ”なんだな」
ということだった。
しばらくして彼女とも復縁をして以前のような明るさを取り戻したSと休日に遊びに行くことになった。
色々なリサイクルショップを巡って古着を見ながらバイト中にはしない会話をいくつかした。
その中で「休日は普段何しているのか」という話題になった。
するとSの答えはこうだった。
「”習い事”をしているよ」
この”習い事”というワードが引っかかった。
と言うのも”習い事”というのは幼少期からだいたい中学生辺りの頃にかけてするものだ、という認識が僕の中にはあった。
そのためか自然と「へー、習い事って何してんすか?」とSに尋ねてみた。
すると「今はちょっとあれだから、ご飯食べるときに教えるね」と言われた。今ここで話さない理由が気になったが「了解す」と答え夜を待った。
夜は居酒屋に行った。
Sはアルコールが苦手らしく飲まなかった。
「Sさん、最近彼女さんとはどーすか」
「うん、順調だよ。〇〇は彼女とか作らないの?」
「いやー、なかなかできないっす」
「そっかー。学生さんはチャンスいっぱいありそうなのに」
「そっすねー。なかなかねー。うん。・・・それで」
「結局”習い事”ってなんなんすか?」
そう尋ねるとSは「あぁ!」と何の気なしに二人の間に置かれていた山盛りポテトを自分のほうへ引き寄せて、
おもむろに両手をかざすと「ふっ!」とポテトに”何か”を発した。ように見えた。
するとニッコリと笑顔を浮かべてこちらへポテトを差し出して放った一言が冒頭のセリフだ。
予想の斜め上の展開にしばらく放心状態にあったが
観念してポテトを一本取ると恐る恐る口に含んだ。
「どう?」と尋ねられ
「あー、確かにちょっと塩分増した感じあるっすね」と答えた。
嘘だった。
本当はさっきまでのポテトと何一つ変わっていなかった。
そこから堰を切ったかのように”習い事”についてSは話し始めた。
・学生の頃から”習い事”をしていること
・主に「その物が持つ”性質”を引き上げる」訓練を学んでいること
(辛い物をより辛く、冷たい物をより冷たくといった”物質”だけでなく訓練次第では”人間の健康状態”をコントロールすることも可能とのこと)
・母親が「幹部」ということ
・定期的に「全体集会」が行われるので遠方まで自費で会員の人たちと車を乗り合わせて何時間もかけて行っていること
・彼女も精神的に弱いところがあるため、力になりたい一心で入会させたこと
・それに伴う入会金はSが全額肩代わりしたこと
・それが結構な額になるため、バイトして完済しなければいけないこと
などだ。
これまで同級生の子が家族で宗教にハマっていて卒アルを頼りに一人一人勧誘の電話をしているという話はあったが(実際に僕もその電話を取って勧誘を受けた)、目の前で対峙したのは人生初の経験だった。
ただSは勧誘してくるような素振りは一切なく、気が付くと普段通りの会話へと戻っていた。
そこで安心してお酒をグイっとあおり、しばらくしてその場はお開きとなった。
それからもSとの関係は特に変化はなかった。
その日を境にSはバイト先でも”習い事”の話をするようになり、みんなも最初は一瞬ギョッとした様子だったが特に勧誘することもなく、普段と何も変わらない様子のSに安心したようだった。
僕が「Sさんがヤバい宗教にハマってる!」と事前に言いふらしてたことも大きかったのかもしれない。
別の先輩が悪ふざけでその”習い事”の体験入会に行ったことがあった。
その様子をバイト終わりに駐車場でみんなで輪になって聞いたことがあった。(Sは不在)
集会場には”生徒”たちと白い袴を着て金ピカのネックレスをジャラジャラさせたいかにもな風貌といった”先生”が居たという。
その”先生”はただの水のペットボトルを掲げると「ムン!」と念を込め、”先生が念を込めたありがたい水”として一本1,000円程度で生徒に販売していたらしい。
生徒たちもみんなでこぞって買い求めたというから驚いた。
みんなで口々に「ヤバくね?(笑)」「次おれ潜入しよっかな(笑)」と言っていた。
この場にいる誰もが自分が当事者になるつもりのない無責任な発言を楽しんでいた。
この頃にはバイト先でSが”習い事”をしていることは社員さんも含め周知の事実になっていた。
だからといってSに対する態度を変えるような人は一人もいなかったことは何よりも良いことだった。
そのため、Sの母親がバイト先を訪問し
「お身体はどこか悪いところはない?治してあげますよ」と
一人一人言って回ったときも
「大丈夫です!ありがとうございます!」と全員が笑顔で返すことができた。
これからも変わらずにSとの関係は続いていくんだと思っていた。
そんなSが突然バイトに来なくなった。
しばらくしてSと一番仲の良かった先輩(体験入信した人)から聞いた話によると、ずっと付き合っていた彼女に二度目の浮気をされて自殺寸前の状態にまでなったということだった。
その話を聞いて思ったことは
「もうこのバイト先はSにとっての”拠りどころ”ではなくなったんだな」
ということだけだった。
*****
あれから10年以上が経った。
Sとはそれ以来一度も会っていない。
今何をしているのだろうか。
昨今のニュースをどう見ているのだろうか。
そんなことをふと思いながら今日もヨレヨレのスーツを着て電車に乗り込んだ。
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