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今日こそ、執筆歴とかやらを書きますぞ~文学フリマ東京39への遠い道のり(2)

そんなわけで昨日は、文学フリマで売る本(小説)を作れたのは、「星々」の小説講座に参加し、作品を書きあげられるようになったから、というお話をしました。

じゃぁ、それまでお話を書いたことが皆無だったのか?
正直に白状すると、超短いスケッチのような作品を書いたことはありました。

そもそも、私の初めての小説チャレンジは、小学2年生のころでした。いたいけな子どもだった私は、大きなマス目のノートに、何の話を書くかのアイディアも構想も無しに、意気揚々と書き始め、100文字ぐらいで挫折。
物語のタネも何もなく、いきなりノープランで始めたのだから当然です。でも、書けば何かが生まれてくるであろう✨、という小学生らしい、純朴な自己過信が愛らしい時代でした。

そして、次のチャレンジは中学年のころです。このときは、初めにアイディアらしい筋立てが浮かんでいたので、ひとまず結末までこぎつけました。横罫のレポート用紙に1枚ちょっとという、いわゆる掌編みたいな感じです。

どんな内容かというと、動物の物マネをするのが生業の、サーカスのピエロの話です。ピエロは、いつも動物の檻の横で、その動物のマネを練習しながら寝ます。その日は猿になると決めて、鏡で自分が猿になりきれていることに満足し、眠りにつくのです。翌朝、鏡に映っていたのは本物の猿の眠る姿でした、という話です。

ちょっとシュールな感じが自分では気に入ってはいたんですが、いかんせん、あまりに短くて薄っぺらすぎです。そしてその内容を、膨らませる術は何もありませんでした。

それ以降は、高校、大学と書ける人になりたい!という気持ちをくすぶらせるだけで、怠惰な日々は過ぎていきました。
で、30歳を過ぎたころに、世の中には、小説講座というものがあるらしい、ということを発見しました(おそ!)。

それで初めて、お金を投資して講座に参加することを決意しました。当時は、研ぎ澄まされた金銭感覚を持っていたので、払っただけの見返りを得なければ気が済みませんぞ!とばかりに、苦しみながらもモッタイナイ精神を発揮し、4000字くらいの短い話を書きあげました。

この講座は、書き方などの講義部分は全く無く、ただ提出された作品に講師がコメントするだけというものだったので、とにかく書き上げた作品の講評をどきどきしながら待ちました。

結果は、
・掘り下げが足りなく、中途半端
・著者の年齢に見合った成熟度が感じられない
というものです。
「なるほど、確かに…」と、ササクレだった胸の奥で、ひとり静かに納得したのでした。

なお、このときの作品の内容はといいいますと、主人公の青年の家に、とつぜん友人が訪れ、海で拾ったと言って大きなツボを持ち込みます。友人が、ふざけてその中に入ってみせると、そのまま消えてしまい、困った主人公は、壺を海に返しにいく…、というものです。
これまた、奇抜さだけを頼りにした、わけわからんストーリーですね。はい。

そのころはとにかく、作品のテーマも何も考えてないし、起承転結といった構成などの概念もゼロでした。ただ、思いついた場面とアイディアを組み合わせることしか、考えていなかったのです。
あー、無知の無知の悲しさよ。。

そんな経緯があって、昨日も紹介した文芸コミュニティ「星々」のワークショップに行き、プロットの作り方というものを教わり、開眼👀し、ようやく小説らしきものを描くことができるようになったのでした。
めでたし、めでたし。

なお、2022年からワークショップに参加しはじめ、2024年の小説講座では、3つ目の作品を書きあげました。
そしたら、なんと!
有難いことに、「星々」の雑誌に掲載してもらえることになりました㊗
それがこちら。


また、文学フリマ東京39にも出店されます。

文学フリマWebカタログ+
な-01〜02
https://c.bunfree.net/c/tokyo39/w/%E3%81%AA/1

どうぞよろしゅうお願いします。

さて、かようにして文芸フリマまでの遠い道のりの、最初のスタートを切ることができました。
もし、小説って書いてみたいけど書けないなぁ、と思っている方がいたら、小学校のころから、ウン十年かかって書いた私が生き証人となり、そんなあなたに囁きかけたい。
「きっと、いつか書けるよ。本だって出せるんだよ」
と。

次回は、このたびの文学フリマに向けた自分自身での本づくり、について書いていきたいと思います!
ではまた。

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