短編小説『砂の城』
2018年に書いてtwitterに載せたSSです。
折角noteのアカウントがあるのだから載せなきゃ! と思ったので再掲します。
砂の城
足を伸ばすと冷たい風が頬を切ってひゅうと音を立てた。
街灯の薄ぼんやりとした光の下、静謐な暗闇の中でブランコを思い切り漕ぐ。ちり、と痛みが走った手のひらを見つめてみたら、鎖に挟まれた皮膚に赤い痕が残っていた。
隣のブランコに座っている彼女が長いため息をつく。彼女の吐息は白く立ち上って、丘の下に広がる景色をぼかしていった。
「どうして恋愛っていつもうまくいかないんだろう」
涙をめいっぱい湛えた瞳は、光を蓄えてとても綺麗だった。彼女はいつも泣かない。すぐ落ち込んで泣きそうになるのに、その涙を溢すことはない。
だから私はいつも思うのだ。泣けばいいのに。せめて私の前だけでは泣いてほしいのに。彼女の涙が頬をつたう瞬間、きっと私は初めて認められたような気持ちになれる。彼女の横に居ていいんだと思える気がするのだ。
「気持ちが強いほど簡単にはいかないんだよ、きっと」
彼女がどんな言葉を欲しているのか解らなくて、当たり障りのないことしか言えない自分に歯噛みする。
私達二人とも、不器用だ。
丘の下に広がる無数の光が、家族の帰宅を待っている。
どこか遠くで幼い子供の談笑が聞こえる。
空には星が瞬き始めて人々の生活を見守っている。
世界は温かいもので溢れているのに、どうして私たちはこんなにさみしいんだろう。
マフラーに顔を埋めて、スカートのプリーツを無意味にいじって、地面を蹴飛ばした。
短く息を吐く彼女の声音が震えている。
膝こぞうの上に置いてあった手が拳に変わる。
「ねえ、」
ふと彼女が顔を上げた。
寒さに鼻の頭を赤くした彼女が可愛くて、その頬に手を伸ばしたくなった。
「ごめんね」
「なんで謝ってるの」
「彼氏に振られるたびに慰めてもらってるから、いい加減嫌になってないかなって」
苦笑しながら首を横に振る。
恋に憧れていた頃は、好きという気持ちはもっと単純で、まるで綿菓子みたいに軽くて甘くてすぐ溶ける、幸せの象徴みたいなものだと思っていた。なのに実際は苦くて重くて、噛み砕くことさえできない。
「ごめんなんて言わないで」
私がそう言うと、彼女は眉を顰めたままなんとか笑ってみせた。
それから言葉もなく、私はひたすらブランコを漕いだ。何度も何度も、彼女がいつものように帰ろっか、と声をかけてくるまで、待ち続けた。
砂場には砂のお城が建っている。きっと幼い子供の小さな手で積み上げられた努力の残滓は、今にも形を失いかけていた。
ひゅうと強い風が吹いて、城だったはずの砂が風に踊る木の葉と一緒に舞い上がり、散り散りになっていく。
理想の幸せなんてそう簡単に形にはならない。そう言い聞かせられているような気持ちになって、胸のあたりをきゅっと抑えた。
勝手に視界がゆらめいて、頬に涙がつたう。泣くべきは彼女なのに、どうして私が泣いているのだろう。咄嗟に手の甲で目を拭うと、細い筋がきらきらと光っていた。
「なんで泣いてるの」
彼女が私の手をとって握った。ふくふくして、温かな手だった。
本当なら泣きたいのだろうに優しい顔で微笑んでくれる無知な彼女を見つめながら、ごめんねと心の中で呟く。
彼女の恋人を奪って捨てているのは私だ。
私を選んで縋ってほしい。そのためだけに、私は彼女を騙して、裏切っている。救いようがないなと思う。でも、欲しいものを諦めるすべを私は知らない。
「きみの代わりに泣いてるの」
頬をぶつ冷たい風も、指先から温度を奪っていく鎖も、ちっぽけすぎて罰にすらならない。
「馬鹿」彼女が笑って言った。
「そうだよ、私、馬鹿なの」私もなんとか笑って言った。
彼女がようやく立ち上がって帰りの支度を始めた。私はブランコに座ったままその背中を見て、後ろから腕を伸ばして抱きしめられたらどんなに幸せだろうと思った。
「帰ろっか」
振り返った彼女を追いかけるようにして立ち上がり、うん、と返事をして冷えた手を握る。そのまま縫い留めるみたいに指と指を絡めて、より一層力をこめた。
この手を離したくない。離せなんかしない。
砂の城を夢見る馬鹿な私を許して。
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