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ネコ学―訳者あとがき

 巷には、猫に関する書籍があふれている。小説やエッセイを除いて、飼育に関係する実用書だけをとっても驚くほどの数である。そんななか、10年前に翻訳させていただいた『ネコ学入門』が、愛くるしい猫の写真も女子にウケそうなイラストもなく、ふてぶてしい表情で読者を睨みつける中年猫を表紙に冠しつつも売れ行き好調だったのには、正直なところ驚いた。

 本書は、その『ネコ学入門』の原書、クレア・ベサントによる著書『How To Talk To Your Cat(別タイトル/ The Cat Whisperer)』の改訂版である。イギリスの慈善団体であるインターナショナル・キャットケアの代表であった期間中に書かれた初版に対し、改訂版はその20年あまりの後、著者が代表の職を辞してからの出版であり、その間に著者が深めた経験と知見をもとに内容がアップデートされて、全体として、客観的かつ動物学的な解説よりも、猫の心理や、猫と人間のコミュニケーションに、より重点が置かれている。前作が『ネコ学入門』であったのに対して本書が『ネコ学』であるのにはそういう背景がある。

 インターナショナル・キャットケアは、「猫とその飼主の生活の質の向上」を目指し、猫の目線で猫のウェルフェアを考える非営利団体であり、キャットショーを開催する類いの団体とはそこが根本的に違っている。猫を、人間が所有する愛玩物としてではなく、人間と生活空間を共有する別の動物種として尊重し、猫がどれだけ人間を幸せにしてくれるか、よりもむしろ、どうしたら人間が猫を幸せにできるのか、そこに活動のフォーカスがある。その団体の代表を28年にわたって務めた著者による本書は、だからたとえば猫に遺伝的な健康問題をもたらす可能性が高い人為的な育種には批判的で、ペルシャ猫やマンクス、スフィンクス、スコティッシュフォールドなどを飼っている人には耳の痛いことも書かれている。

 初版を翻訳したのは2013年、私が13年間飼った愛猫、小源太を病気で亡くした数年後のことだった。無類の猫好きを自認している私だったが、翻訳しながら、いわゆる溺愛の対象としてのペットとしてではなく、猫という生き物について、自分が実に無知であったこと、猫に関する自分の知識が、完全室内飼いの猫についてのものに偏っていたことを痛感した。

 その後、日本とアメリカを行き来する生活の中で猫を飼うのはなかなか難しく、日本で猫を飼うことは諦めていた。ところが、東京から郊外に転居してまもなく、私は思いがけず2匹のレスキュー猫、ゴーストとピノを飼うことになった。その経緯を書くと長くなるので割愛するが、2匹は1年ほどの間隔を空けて我が家の庭に突如として現れ、それぞれ違った健康問題が理由で野良猫でい続けることができなくなり、いわば「仕方なく」我が家で室内飼いをすることになって間もなく5年になる。

 本書の第2章に詳しく述べられているが、猫は生後2か月間の「感受期」と呼ばれる期間中に人間と十分に触れ合わないと、(もちろん例外はあるが)基本的に、その後一生人間に慣れることはないという。さもありなん、この2匹は子猫時代を野良猫として過ごしたので、人間に対する警戒心が非常に強く、私は抱き上げるどころか触らせてさえもらえない。2匹はいたって仲が良いが、私に対しては実にそっけない。まるで家の中に野良猫が2匹いるようなものだ。

 一方、アメリカの自宅には、前作の翻訳中に飼っていたミトンズが2019年に病気で急死した後、知人から子猫のときに譲り受けた2匹の黒猫、タンゴとゴンタがいる。2匹は共通の父親と別々の母親から生まれた「異母兄弟」で、家の中と外を自由に出入りし、昼間は主に外にいて、夜は人間のベッドで眠るが、気が向けば一日中家の中で過ごすこともあるし、出かけたきり一昼夜戻ってこないこともある。血のつながりがあるにもかかわらずあまり仲は良くなくて互いを無視し合い、性格も食べ物の好みもまったく違う。

 完全な室内飼いで外界を知らずに一生を過ごし、まるで子どもの代わりだった小源太。やむを得ない事情から、野良猫から家猫になったゴーストとピノ。家の中と庭を自由に行き来するミトンズ、そしてタンゴとゴンタ。3種類の、それぞれに非常に異なった「飼い猫との関係」を経験した後で翻訳した本書には、自分の経験が「なぜそうなのか」を納得させてくれる、猫という生き物を俯瞰して客観的に理解するための知見が詰まっている。

たとえばゴーストとピノのような猫のことを、本書は「中間猫」と呼んでいる──野良猫でもなく、かといって飼い猫とも言い難い、その中間にいる猫のことだ。ベサントの2冊の本を訳していなかったら、私はゴーストとピノの家庭内野良猫ぶりにひたすら欲求不満をつのらせていたかもしれないが、本当に猫が好きならば、望むべきは、ある状況の中でその猫にとっての最善の環境をつくってやることであって、猫が自分の望み通りに行動することを期待するほうがそもそも間違っているのだということに気づかせてくれたのはこの2冊の本である。

 ゴーストとピノと私の(心理的・かつ文字通りの物理的)距離は、それでも少しずつ、本当に少しずつではあるが縮まりつつある。SNSを見ていると、そういう家庭内野良猫(中間猫)を飼っている人は意外にたくさんいることもわかる。私と同様、そこにはそれぞれの事情があるものと推測するが、自分が飼うようになって○年、やっと一瞬触らせてくれた! と嬉しそうに報告する投稿などを目にすると、ああ、この世には、(自分も含め)それでも猫が自分のそばにいるだけで嬉しい人、そのことで生活が豊かになっていると感じる人がたくさんいるんだな、そしてそれもまた、猫との付き合い方のひとつなんだな、と納得したのもこの本のおかげだ。

 だから本書は、今すでに猫を飼っているか、これから猫を飼おうと思っているかにかかわらず、猫好きを自認する人、猫を人生の伴侶としてともに暮らしたいと願うすべての人に読んでもらいたい。本書を読めば、猫と人間の関わり方にはいろいろな形があって、どんな形であれ、双方がそこから喜びを得られる方法はきっとあるのだということがわかるだろう。

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