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樹に聴く―あとがきより抜粋
本書は、できることなら、樹の気持ちを代弁したいと思って書いたものである。長い間、森に入り樹々の生活記録を書き溜めているうちに、樹々が普段何を想っているのかが、推し量れるような気がしてきた。それに、調査の合間に樹々が何かを言いたそうにしているのを感じるときもある。
それで、『樹に聴く』という書名にしてみたのである。
ブナの章で紹介したように、老熟林で5樹種すべての芽生えの位置を調べたことがある。多くの学生と一緒に目を凝らして、6ヘクタールの暗い林床を這いずり回った。集めた大量のデータを統計解析してやっと、子供たちがどこで生き残れるのかが見えてくる。親木の立場から解析すれば、親がどのような方法で最適な場所に子供を送り込もうとしているのかも推測できる。
つまり、手間暇かけて、親子両方の立場にも立って考えて初めて、やっと樹の気持ちがわかるようになる。このように、今まで多くの樹種を念入りに調べてきたが、どの樹種でも共通して感じられるのは、やはり、樹も人間と同じような気持ちを持って生きている、ということだ。とりわけ、〝親が子のことを思う気持ち〟は人間と寸分も違わない気がする。子供たちがしっかりと生きていける場所に辿り着くため親たちは努力を惜しまない。
森の木々は数十年、数百年も、枯れて倒れるその日まで花を咲かせ子供を旅立たせている。人間もまた子育て中はもちろん、老人になってもやはり子供のことは気に掛かる。樹木も人間も同じで、死ぬまで子供の心配をして生きているのである。
もう一つ。いつも感じるのは、もし、森の森羅万象を司る山の神がいるとしたら、多くの生物が共存することを常に願っているということである。森の中では特定の樹種や特定の家系が森を独占することは決してないからである。もし利己的な振る舞いをする樹がいたら、それをいつも諭しているとしか思えないのである。
例えば、種子のサイズの違う多くの樹種が共存できるように、森は何百何千というハビタットを隙間なく用意している。それでも、強い一種が広い場所を独占しようとしたら地滑りや洪水などの攪乱を起こし、弱い樹種が生きていける場所をそっと差し出すのだ。
それでもうまくいかないときには病原菌や菌根菌などを介在させ競争を緩和したり、遷移を促したりして多くの樹種の共存を図っている。老熟した森は、多くの生き物が共生する、その術(すべ)を教えてくれている。
もっと深く教えてくれる良い先生がいる。森深く分け入り、やっと出会える老巨木だ。ただ微笑んでいるだけのように見えるが、その後ろ姿は立派である。無駄とも言えるほどの大量の果実で動物たちを越冬させ、太枝が抜け落ちてできた洞で鳥や小動物を守る。朽ちてなおキノコや木食い虫、キツツキを養っている。もちろん、自分の子供の心配はするが、他者への配慮が勝っているような気がする。
老樹は、数限りない艱難辛苦(かんなんしんく)を乗り越えて奇跡のような確率で生き残ったツワモノである。しかし、とても温和な表情を見せているのは、なぜなのだろう。奥地林で老樹の下で昼寝をするとそれがわかったような気になることがある。夢の中で老樹の声が聴こえたかのような錯覚に陥ることがあるからだ。古木との時間はとても豊かだ。
読者の方々も是非、奥地林に行き、道を踏み外して歩いていただきたい。きっとにこやかに迎えてくれる老樹にバッタリと出会えるはずである。
本書を通じて物言わぬ樹々の想い、森の不思議を少しでも読者が感じて頂けたら幸いである。そして、この本を読み終えたら是非、様々な場所で暮らす樹々に会いに行っていただきたい。もちろん、奥地の森に分け入り、老樹にも会いに行っていただきたい。