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2023年7月の記事一覧
無駄
無駄だと見做して削ぎ落としたものは果たして無価値と言って然るべきだろうか。僕らはいつも目まぐるしい変化に追いつくために何かを犠牲とし、諦めては忘れていく。物足りなさや無力感がそんな自己防衛本能に起因するならば、穴を埋めようと消費を注ぎ足しても実感を得られないのは当然か。
太陽
人は太陽に背いて生きることはできない。街を歩けば街灯、照明や他人の存在が安心感を与えてくれる。じゃあそれらがない場所はといえば一般人は近寄らず、僅かな物好きや気の迷いが起こった者しかいない。所謂普通から退いた人間だけが太陽を無視することができる。だから基本的に人は太陽と共に生きるべきだと言える。
有限
未来の選択肢は若者ほど多く持ち合わせている。それらを手放してしまうのは人生を経て様々な有限に気づくからだ。対して有限である地位や肩書き、減っていく人々の上で従来と変わらない舵取りを行う光景がどこにでもある。手元にある資産を利用せずに償却し続け、他方で外から買い入れたもので今を取り繕うことに持続性なんてあるものか。
0
0から始める時、どうしても不安や恐怖を拭い去ることはできない。途方に暮れながらも先の長い道を歩かなければ、目的地へ辿り着くことはない。そうやって負の感情で自分を追い込むことは無酸素運動のようなもので、すぐに息が切れてしまう。行程をいくつかに区分し、一歩にすら達成感を値付けられたならば、どこまでも行けると信じよう。
無邪気
無邪気さを素直で無垢だと肯定的に捉えていいのは無関係な他人だけだ。自分の勝手を許すことは無神経で無自覚かつ粗末であると鼻高々に公言するようなものであり、滑稽この上ない。野次馬を呼び寄せることこそあれ、人を惹きつけることは不可能だろう。
情景
海の家が立ち並ぶ砂浜は夏を感じるにはこの上ない景観だ。単に潮風に肌を晒し、波の音やコントラストを追いかけるのも良いが、その様相に人が加わるだけで画が情景へと昇華される。サイズ、生活との距離、季節や雰囲気といった語ると野暮ったい情報は見るものとしてではなく、読みものとして残すべきだろう。
不自由
知らない道を歩けば瑣末なことを好きだと、特別だと思えるようになる。何処を歩くかにこだわると無駄な期待をしてしまう。その期待に応えるのは自分自身なのだから過剰な希望は不自由の原因だと言える。とはいえ無策で時間を失うのは愚かしい。
抑止
無鉄砲な人間に対して危険だから止めるべきと騒いだり、監視することは事故や遭難に対して一定程度の抑止になるかもしれない。けれど、全ての可能性に対して万全であるかを問えば玄人でさえ言葉を濁すものだ。
日常
そういえば最近はのんびりとした登山をしていなかった。大きな原因は夜ふかしと寝坊であるが、それだけとは言い難い。山を日常の延長として身近に、気楽に、そして手短に感じたいという固い理想があった。思い描いたことを真似てみたはいいものの、自分の足下ばかりを気にして山を満喫できていなかったのではないか。
天国
所謂下界と天国とを繋ぐ尾根は長く、険しく、迷いやすい。だからこそ臨むならば、たくさんのものを抱えて万全を期すか、無駄を省いて身軽になる必要がある。行動様式を誤り、且つ引き際も見誤った時、日々が終わってしまう。
輸送
いくらネットに依存しているとはいえ、生きる世界は現実であり、従って物資の輸送は欠かすことができない。取引がいくら高速化したところで、現物の受け渡しで発生する遅滞は避けられないのだ。大多数の快適な生活は全て少数の過酷な働きによって成り立っている。だから快適を当たり前と思いたくない。
安息
夏の暑さを煩わしく思いながらも、人は外出しようとする。いくら空調の効いた屋内が快適とはいえ、なにも風物のない所に止まってはいられない。安らぎと言えば穏やかで過ごしやすいイメージがあるが、本当の安息は太陽の下にしかないのかもしれない。そう考えると縁側のある家は非常に価値が高いと感じる。
自覚
幸福とは無知であれば訪れることでもなければ、躍起になれば得られるものでもない。なぜなら生まれながらに手にしているからだ。ただ自覚がなく、失われていくものを惜しみながら見送る時、その離れゆく背中に張り付いていることを知るのだ。
理想
理想が理想のままである限りは今の無鉄砲な自分を肯定できる。けれど、いざ近づいてみると生々しさに怖気付いたり、それを追いかけてきた時間の意味を見失ってしまう。きっと型を決めるのは悪手なのだろう。理想をデフォルメし、後から解釈を興じる余地を残しておく方が身のためになるかもしれない。