こぼれたワインが知らせるいくつかの現実(4/最終回)
マンションの玄関ドアを開けてくれた梨花子は
いつもの何倍も明るい笑顔で迎えてくれた。ただ、顔色は相変わらず土気色だけど。
そしてその後ろに「旦那様」こと、私の「彼」がやって来て、
「こんばんは…」
と発した瞬間、私を凝視して目を見開いて動かなくなった。
「こんばんは〜〜♪梨花子さんにはいつもお世話になっておりま〜す♪」
と、極力、ノー天気なキャラで挨拶をする。
ある意味「修羅場のカウントダウン」のシーンだが、意外に面白がっている自分に驚く。
「これ、千葉県民のお約束、ピーナツ最中で〜す♪」
と、お土産を渡した時の「彼」の顔は、とても表現しづらいものだった。
例えるなら、「笑いながら怒る人」に似ていた。
(笑いながら怒る人=竹中直人さんの伝説のネタ)
さあいよいよ、ご馳走の並んだテーブルにつく。
私の前に梨花子と旦那様が座って、いざワインで乾杯。
「アユミさんはね、いつも私と一緒なんだよ。すっごく気が合うの。昼ごはんも毎日一緒で、、、ね!アユミさん」
そう、私の名前はアユミと言う。
(そうね、私達はとても気が合うよ。だってオトコの趣味が一緒だもの)
と脳裏に浮かんだが、言葉にはせず曖昧に笑っておいた。
他愛ない会話を3人でしながら、
ワインでほろ酔いなせいか、彼をじっと見つめてしまう。
私とは恐らく、二度と寄せ合う事の無い頬、二度と触れ合う事の無い指先をじっと見つめていたら
つい涙がこぼれてしまう。
「どど、どうしたのアユミさん!」
と、梨花子は心配そうに見つめてくる。適当にごまかしながら、笑って言った。
「お二人が、あんまりお似合いだから、何だか泣けてきちゃって…」
すると梨花子が、意味ありげに瞳を私にまっすぐ向けて数回小さくうなづいた。
「彼」は、額から汗をだらだら流しながら椅子から立ち上がり、
「ワ、ワインが無くなったね。か、買ってくるよ」
と言って出て行ってしまった。
「良かったら、あっちのソファに座る?落ちつくかもよ…」
と梨花子さんにうながされて、リビングのソファに座る…。
様々な思いが去来し混乱し、おもわず頭を抱える。
私は「別れについての謎が解けない苛立ち」をどうにかしたくて、
「まるでジグソーパズルの最後の1つを探すように」、迷走していただけなのだ。
しかし、この状況は謎の答えになっているのだろうか。
なってない、なってない。私はいったい何がしたいのだろう。
別れたい彼の意思を尊重し、こちらも上手に「消えて」あげれば良かっただけなのに。
彼にとってもはや私との事など、とうに過去の事だろうし、
今さら彼は何にも感じない。
せいぜい、おかしな女だと「笑いながら怒る」だけだろう…。
頭を抱えている私に、梨花子がお水を持って来てくれた。
背中に手をまわしてゆっくり撫でおろしてくれて、
「知っていたよ」
と囁いた。私の体がピクリと動き、ガチガチに固まった。
ついに私の化けの皮がはがれた瞬間だろう。
何かを言わなければ…と口を開きかけた時に、柔らかく温かい唇がそれを包んだ。それからゆっくり肩を抱いて梨花子はこう言った。
「アユミは、私のこと、好きだよね。うん、知っていた、気づいてたよ」
ちょっと待て…。
梨花子の、その言葉の意味を整理してみた。だが、混乱するだけでさっぱり整理できない。
盛り上がったムードのままの彼女が、ぎゅっと抱きしめて離さない。私は「どうしよう」という言葉しか浮かばない。
その時、背後で派手にガラスが割れた音がした。
私からは見えないが、「彼」が立ち尽くし、足元には割れた赤ワインの瓶が散乱している情景が想像できた。
「いいのよ、アユミ…旦那とは別れたっていいの」
うっとりしながら梨花子さんは顔を近づけ、
私の唇をまたもや柔らかく包む。
ぼんやりしながら、彼の足元に流れる赤ワインを想像した。
きっと彼の心情に似た、真っ赤な血のようなワインだろう。
ガラスのかけらは、まるでジグソーパズルの最後のピースのような姿で、
キラキラと転がっているだろう。
優しく柔らかな抱擁に、私は目をつぶって少しだけ微笑んだ。