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私にとっての天然石

もともと鉱物や化石が好きだった

今日は昨日より気温が少し低いのか薄着では過ごせない。
空も曇っていて雨も降りそうだ。
ゴールデンウィークが終わって今日から通常モードの方々には憂鬱な月曜日と感じられている方もおられるかもしれない。
自分のことだけ言えば仕事柄祝日が無関係なので私にしたら変わり映えのない、いつもの月曜日公休である。

そんなわけで今日はご依頼を受けていた天然石ブレスレットを作成する日にしたい。

私は子供の頃から恐竜が大好きで、古生物学をやりたかった。高校で学ぶ地質学は勉強とは思えない楽しくて仕方ない教科。
中学生の頃から友達と化石採掘に出かけたり地元の博物館の研究室に出入りしていて学芸員の先生にくっついて歩いていた過去がある。
中でも恐竜と鉱物は別格だった。
恐竜については今はもういない生き物なのでロマンのが強かったのだろう。鉱物についてはこの地球が産み出す石として考えた時、その成分によって色彩や形、硬さ等これ程異なる姿を見せてくれることに感動してハマったのだ。同じ性質の石でも産地によって混入物や成分が微妙に異なり色も異なる。
それはあまりに多彩だ。そもそも一般的女性が好む宝石はこの石たちなのだから女は天然石が好きな生き物なのかもしれない。
私個人は磨かれた宝石より原石のゴツゴツ感が好きだがブレスレットとして扱うにはラウンドに磨かれたものを使うほうが扱いやすい。
一番好きな石はと尋ねられたら、「ラピスラズリ」と「ターコイズ」と答えるが本命は「翡翠」でもある。
特にシルクロードのホータン(和田)玉と日本の糸魚川翡翠にはずっと心を持っていかれている。美しくなめらかな様々な色会いのグリーンはずっと眺めていても飽きない。
玉(ネフライト)、翡翠/jadeの勾玉は私の中で最高位にある。マラカイトやカルセドニーの勾玉も大好きなのでグリーンが好きなのかもしれないが、翡翠はやはり別格である。


スピリチュアル的な意味

私にとっての天然石は地球が産み出した鉱物なので石は石である。
そこにスピリチュアル的な意味合いを深く追求するのは個人的には難しい。なのでパワーストーンという表記には、なんと言うか少々お尻が痒くなるような照れるような気持ちにはなる。それは否定的なというよりなんだか気恥ずかしい気持ちになるのだ。

有名な「ローズクォーツが恋愛運をあげる」という意味について例とするなら、ローズクォーツは紅石英だ。たまに六角柱状となる紅水晶が算出されることもあるらしいが私は見たことはない。
石英とはご存知の通り水晶(クォーツ)を指す。
もともとは透明なものだが成分やインクルージョンで様々な顔となるのだ。つまり透明な石英に不純物が混ざっているものを色付き石英として、このローズクォーツやアメジスト、シトリン等が出来上がる。
紅石英(ローズクォーツ)はそんな石英のひとつだ。

つまり、ただの鉱物である。

しかし、私にとってはただの鉱物こそがお宝なので、それと同じように鉱物を磨き加工して身につけることに大切な意味を見出そうとする流れはとてもよくわかる。
受け取り手の感性が大切だということではないだろうか。
美しい桃色の石を目にしたときに特別な石を見つけたと感じる心が素敵ではなかろうか。

人間もまたこの星から産まれた生物なので同じ星から産まれた鉱物にシンパシーを感じるのは当たり前だと思うのだ。
そこに意味を見出して、身につけることで幸運や安心感を得ることができるのならおおいに身に着けるべきと考える。

そもそも古代から人類は土中から石英の六角柱を見つけたり、変わった色に輝く石を見つけたときは祭事や身を護るものとして使ってきたはずだ。
未来を明るく、病を癒やし、希望を抱くというその願いは人類普遍の重要な生きる理由というやつだと思っている。

ローズクォーツが恋愛運をあげると信じて身に付けるその想いが石と本人に力を与えるのだと思う。
霊的にという言い方をすると怪しく聞こえてしまうのだろう。
私は心霊現象は好きな方だが(ミステリアスで未知なものほど人の脳を刺激して好奇心を満たすので)石と心霊を結びつけたいわけではない。
パワーストーンという呼び方も敢えてはしないがブレスレットを作成するときにはその方の未来への願いを大切にして、石の色の美しさや形、インクルージョンを美として扱いたいと心掛けてはいる。

どういうわけかインスピレーションのようなものがあって、この方にはこの石が合うだろうという直感的なものは働くがそれをスピリチュアルとは言い難く、石好きゆえの感覚なのではないかと思っている。
インスピレーションというと途端に怪しくはなるだろうが(笑)。

曖昧で良いと思っている。
その方のご希望に沿ってその方に似合うものを探して作成することが楽しいのだから。

そもそも石が六角柱の構造に地球の中で作成されることが神秘的なのだから。

科学は想像であり創造であり、夢でもありまた不思議現象そのものでもある。
なんて楽しい!


勾玉について

ところで、古生物学や地質学を学びたかった私が最終選択した学科は何かと言うと実は「考古学」である。
考古学は地球という科学的な謎から離れて人類文化に寄るものである。歴史学にも近い。
土中から出てくる石ではなく人類の痕跡の方だ。
だが、先にも述べたが古代の人類はその石を彼らの生活に取り入れて生きていた。日本においては「勾玉」は切り離せない。
これは日本神話の三種の神器(レガリア)のひとつでもあり現代日本でも皇族に受け継がれている歴史そのものだ。

勾玉の独特な形には諸説あるが私は胎児説を推している。
カイコ説もありだが、カイコの場合は本当にカイコ型のような勾玉があるので、我々がよく知る一般的な勾玉の形は私は胎児の方ではないかと受け止めている。

まだ竪穴式住居で生活をしていた頃、人々は新生児が死亡すると家の入口や四隅に埋葬して、その家を守護してもらおうと願った。出産は神がかり的な側面もあったのかもしれないし、命がかかった、しかし人類存亡のために必須のものでもあった。
医療のない時代の出産は過酷なはずであったし母子ともに死亡率も高かったことだろう。死産も、産後すぐの死亡も多かったはずだ。
古代人が胎児の形を認識してたかと言われると不可とは思うが、眠る新生児の丸くなった形から母体内でも同様の姿であったことは想像できたのかもしれない。

命の形、命の重み、と受け取れば古代から同じ形の勾玉の、神聖でミステリアスな姿は愛すべきものである。

想像の域を出ないが、神社の参道は産道とし、神社を子宮と考えればその奥に御神体として安置される勾玉はまさに胎児ではなかろうか。

その勾玉を地球の中で生成された美しい石で削って作ってきたのであれば、そこに宿る願いは神聖なものだと私は個人的には受け止めている。


そんなわけで、私が天然石ブレスレットを作成する時には、霊的なエネルギーを込めて作っています等は言わないが大切な想いで作成していることが伝われば幸いである。

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