空に近い週末
高度経済成長期に宅地造成、分譲された東京郊外の私の居宅周辺も、確実に世代交代の波が押し寄せている。いや、正確には世代は交代せずに衰退しているだけかもしれない。
以前、この近辺の市町村には我が国の経済成長を支えていた大会社の事業所、工場も多く存在していたが、そのほとんどは移転や閉鎖となり、代わって跡地に次々と林立しているマンションには、それなりに若い世帯も多く入居しているはずだが、それでも学校の統廃合は進み、産婦人科は閉院した。
日中の路地には、背中の丸くなった姿や、杖をつきながら休み々々歩く姿の高齢者が目立つ。
私の居宅と目と鼻の先のご近所さんは、高齢者向けマンションに入居するために、一軒家の居宅を数年前に不動産業者に売却した。しかし、昔の分譲地であるがゆえに土地が広く、そのままではなかなか売れないため3分割されて売りに出ているが、最近やっとそのうちの1区画に売約済の看板が立った。
加えて、長い付き合いだった独居高齢者のお隣りさんも、少し前に亡くなって、住居は取り壊され、こちらも更地となってしまった。
半世紀近く、自宅の2階の部屋のベランダの前にはお隣りさんの建物の壁があり、見える景色は変わり映えしなかった。
それが、窓から見える空の面積がとても広くなった。浮かぶ雲が近くに見える気がするようになった。陽ざしの降りそそぐ、明るい部屋となった。至近距離に更地が増えたせいで、風がよく通り抜けるようになった。
そこに住む者にとって本来は喜ばしいことなのだろうが、寂しいという気持ちが上回る。
そして、自身の所有するこの土地建物も、周囲と同じように更地にせざるをえない時期が目前に迫ってきていることを憂う日々である。