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仕事の意義を見失う

システムエンジニアの転職活動 No.002


みなさんご無沙汰しております。キャリア迷子のつきよしです。
突然ですが、みなさんは「3人のレンガ積み」の寓話をご存知でしょうか?以下のような話です。

3人のレンガ積み

中世のとあるヨーロッパの街。
建築現場に3人の男が働いていた。
「何をしているのか?」ときかれ、それぞれの男はこう答えた。
「レンガを積んでいる」。最初の男は言った。
2人めの男が答えて言うに、「カネ(金)を稼いでいるのさ」。
そして、3人めの男は明るく顔を上げて言った
「後世に残る街の大聖堂を造っているんだ!」。

働き方の哲学 P18

私が初めてこの話を知ったのはたぶん2、3年くらい前のことだったように思います。とても印象深い話だったので、内容はよく覚えていました。

聞いた当時は3人めの男のように働けるとやりがいがあるだろうなぁと感じて、そこで終わりでした。ちなみに参考にしている書籍にはこの話について、以下のように説明されています。

外見上同じ仕事をしていても、人が内面に抱える意識がまったく異なることを示す古典的な寓話

働き方の哲学 P18

仕事辞める直前の私は「カネ(金)を稼いでいるのさ」状態です。街の大聖堂のことなんか完全に忘れ去っています。ヤサグレ状態です…。

寓話について私の勝手な解釈

ここから先は寓話の個人的な解釈になります。私は3人の男の関係性について、(勝手に)このような間柄なんじゃないかと想像しました。

  • 最初の男:建築現場の若手

  • 2人めの男:建築現場の親方

  • 3人めの男:建築現場に入ったばかりの新人

建築現場に入ったばかりの新人(3人めの男)は新たな仕事に就いて、希望に燃えています。街の大聖堂を建てる今回のプロジェクトは後世に残る大仕事です。これから自分が為すことを思うとやる気が満ちてきます。

建築現場の若手(最初の男)はレンガ積みの仕事を始めて、それなりの経験があります。この仕事を始めてからというもの、自分の積んだレンガについて、毎日のように親方にダメ出しをされます。その中で職人の世界の厳しさを知ります。

建築現場の親方(2人めの男)はその道数十年の大ベテランです。工期の遅れなどのトラブル対応や、なかなか上達しない若手の指導、細部のデザインにうるさい司教さん(聖堂のオーナー)の説得など、毎日大忙しで息つく暇もありません。

憧れは理解から最も遠い感情

寓話について考えていると、ふと以下の言葉が私の頭の中をよぎりました。

憧れは理解から最も遠い感情だよ

 BLEACH 20巻170話

私と同じアラフォー世代の方なら聞き覚えがあるかもしれませんが、ジャンプで連載されていた「BLEACH」のとある登場人物のセリフです。(このセリフについて説明しだすと長くなるので割愛します…。)

寓話に対する私の解釈って、このセリフがピッタリです。

遠くから見て憧れていた大聖堂を造るという仕事を実際に経験する中で、レンガ積みの新人は仕事の実態を理解していきます。

来る日も来る日も自分の積んだレンガについてダメ出しを受ける中で、若手は徐々に自分の眼の前のことしか見えなくなっていきます。

長年レンガ積みの仕事を続けて、仕事の実態を理解し、レンガ積みに熟達する頃には、親方が当初抱いていたであろう仕事に対する希望(憧れ)は忘れ去られてしまう。

初心に戻る

これはまさにキャリア迷子たる自分のことを言っているな〜と思い、今なぜか感慨深い気持ちです。最初から皆、カネ(金)のことだけ考えて働きたいと思っているわけではなく、時とともに仕事に対する価値観は変わるということかと。

じゃあ、仕事を始めたときの初心はどうやったら取り戻せるんだろう…?
そもそも取り戻す必要はあるのか…?

今日はここまで。

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