曼珠沙華と彼岸花
【彼岸花】
こんばんは。
お久しぶりです。
田んぼの畔には彼岸花が咲き誇っています。
お彼岸の頃に咲く彼岸花。
天蓋花(てんがいばな)、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)とも呼ばれています。
曼珠沙華は古代インドのサンスクリット語では、「天界に咲く花」
「見る者の心を柔軟にする」という意味もあるそうです。
彼岸花に纏わる物語はたくさんあっただろうなと過去に想いを馳せてわくわくしてしまいます。
あまり良い連想をされないイメージもありますが、彼岸花が咲くと、
お彼岸なんだと感じられるし、
稲刈りの季節が来たなぁと感じるし、
田んぼの畔に毎年毎年咲き誇る様子は安心をくれます。
同じであること、同じことを繰り返すことは安心につながるんだなぁと。
自然な木々や花々が変わらぬ姿で持続していることは、
未来の子どもたちに大切なものをつなげているような安堵も感じます。
お米つくりを始めた理由には、
地球にできるだけ負荷をかけない暮らしをすること、
未来の子どもたちへ今よりも美しい地球を残せるようにという想いもあります。
もちろん、それと真逆になる行動もしている自覚もありますが。
便利さや新しい欲求を生み出し続けて、豊かになっている部分もある中で、
様々な負の遺産も膨れ上がるばかりの地球や社会ですが、
今だけ、自分たちの世代だけ、
今の時代だけにならないように。
人間の一生ではどうしても1000年先のことはイメージできないし、100年先でも難しいところですが、
未来をイメージするというよりは、
現状の良いところ、例えば豊かな自然
をそのままにしておく、もしくはもっと豊かにすること、負の遺産をこれ以上未来へ先送りするのをできるだけ軽減することなどを考えながら暮らすことはできると思います。
最近読んだ本で、
1000年を普通に生きるドラゴンが出てきました。
同じ本の中には、
不死になってしまった1000年生きている人間も出てきました。
家族も知り合いもいなくなって、寂しくて、どうしたら死ねるかを研究していました。
現実をどう捉えるかはその人次第なのですが、
それとは違う観点で見てみると、
人の寿命である80年や100年という月日によって、起こっている現実や趣向や感性や反応や社会や世界の形などがあるんだろうなぁと考えました。
寿命が1000年だったらどうなっていくんでしょうね。
不老不死という言葉もあるし、
死にたくないという人もいるかもしれませんが、僕は今のままの寿命くらいがちょうど良いなぁと、今のところは思っています。
どんどん新しい便利そうなものが生まれ、新しい世界観、価値観、未来観が生まれ、絶え間なく変化していく現実。
だけど、新しい様々な病や不調、ストレスも生まれ続けているとも考えます。
本当に多種多様に様々な状況が絡み合っているから、これをすれば良いとか悪いとかはわかりませんが、
僕は自分を大切に、時間と心の豊かさを大切に生きたいと想います。
人生の一部分であるお米つくりを通して、それぞれが自分らしく生きていけるようにならなくても、立ち止まったり、考えたりする時間があれば良いなと思います。
こうしてこの取り留めのない文章を読んでいる間だけでも。
お読み頂きありがとうございます😊
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