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またしても、近所の人たちを見ていて感じる話。

本当に、人々から多くのことを学んでいる。
たかが配送の話でも、日々のマガジンには書ききれないほどの情報を得ている。ただ、書きすぎると日々のマガジンが膨大になってしまうので、セーブしている。

配送について思うことがもう一つあって、到着予定日の所定の時間に家にいようとする人が多いな、ということだ。
「そんなこと当たり前だろ」と思われるだろうが、僕は「そこまで神経質になることか?」と感じてしまう。「ああ、その時間は荷物が届く予定なんだけど...うーん、まぁいいか」みたいな小言というか、一言を聞くと、「それ言わなくてはいけないことなのか」と思うし、余計に「大丈夫か?」と思う。
そんなことでストレスを感じていたら死ぬぞ、とも思うが、人それぞれに考え方はあるので構わない。大変そうだな、と身を案じるだけだ。

再度配送してもらうのは申し訳ない、という気持ちは僕にもあるから、僕だってなるべくなら受け取ってからとは思う。(だから、ほとんどの荷物を置き配に設定している)
でも、14時から16時に届くと言われて、その時間に必ず居なければならないとまでは思わない。これはやはり、感覚の問題なのだろう。

近所の方々の言葉を聞いていると、「荷物が届くから家から出られない」だとか、「うわあ、荷物が受け取れなかった。」と聞くことが多い。
僕は即座に、「受け取れなかったのなら、再配達をお願いすれば良いのではないか。」と思うし、実際に「連絡をすれば良いじゃないですか。」とも言う。でも、その時ちょっと変な空気になる。そういう問題ではありません、みたいな冷えた空気だ。
たぶん、再配達の連絡をするのも億劫ということだろう。もっと言うと、自分の思い通りにならなかったことに対する「座りの悪さ」から来る感情ではないか。

1日の予定を順番にクリアしていくことに快感を覚える、という人が少なからず居ると思う。
この用事を済ませて、買い物をして、ご飯を食べて、とタスクをこなしていく。それらが滞りなく行われると、楽しい。気分が良い。ゲームで言う「作業ゲー」的な気持ち良さにも似た感覚があるだろう。
もちろん、やらなければならないことなら仕方ないことだし、それは優先すべきだとは思うが、自分で勝手に決めたことが達成できなかったからと言って、誰にも迷惑はかからない。ただ自分だけにしかわからない感傷があるだけだ。それで落ち込んだり、「自分は何もできないな」とまで思う人もいるのだから、人間は本当にドラマティックな生き物だなとつくづく思う。自分の約束を自分で守ろうとする。そこは素敵なことだ。
確かに、人間の人生はそれの繰り返しかも知れない。

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10分もかからず読める。つまり、なんか読書した気になれます。「気になれる」ということが大切。この世の全ては「錯覚」ですからね。

最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…

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