LGBTQの銭湯問題
この手の問題で、これほど難しい問題は無いのではないか、と勝手に想像している
おそらく、この問題が解決されるには、人間全体の哲学的進化みたいなことが起きなければ無理だろう。100年かかる、と言っても大げさではない。
ヌーディストビーチや混浴風呂を、僕たちが何も気にせず裸で自由に利用できるか、と考えてみればわかる。
相当、難しい。
裸で自由に利用できる感覚というのは、つまり「性的な目で他者を見ない」というレベルの感覚だろう。
まるで新しい生物のように一つ上の次元に到達しなければ、不可能だ。欲求を抑えるのではなく、無くすほどの次元である。
そうなると、誰もが一定の哲学的な訓練を重ねる必要がある。欲求とは何なのか、本能とは何なのか、他者とは何なのか、暴力とは何なのか、人権とは何なのか、あらゆる観点を深め、「正しい」哲学を修了した人間にならなくてはならない。
哲学的な正しさを定義することは非常に難しいから、そもそもそれをどうやって測るのかという問題に突き当たる。
そんなことができたら、警察官や自衛官から犯罪者が出たりしないし、会社で人を雇う時に「潜在的に危険な部分を持っている人」を雇わなくて済む。
あまりこの言葉は好きではないが、つまり、「人間性」みたいな物を測る装置でも無い限り、「性別」に関する問題は解決しないだろう。
解決が何を指しているのかはわからないが、風呂の問題で言えば、性別の問題で悩んでいる人が何も考えずに銭湯に入って行く、という社会は、まずやって来ない。
生殖器などを手術して、物理的に肉体を変化させた人なら、かなりそのハードルは下がる気はする。
そこまでして、欲求のために犯罪を行うような人はあまりいないと思うし、大衆も抵抗が無い気がする。
僕たちは、その人がどんな人かを知らない状況では、外見でしか物事を判断できない。
しかし、その人の根本的な悩みなどは、外見ではまず理解できないから、
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つきのまどの【つれづれゴニョゴニョ】
最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…
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