【才能について1】才能とは、その何たるかを知らぬ者により作られる『幻想』である。
今回は、「才能」にまつわる事柄について、書いていこうと思う。
たぶん、かなり長くなる。長い文章を読めない人は、この時点でもうやめた方が良い。金が無駄になるだろう。
一応は、3章以上5章以内を予定しているが、全部で5万字は超えそうな気がする。短い小説くらいの長さはあるので、読破感はあるかも。
もしあなたが「才能」という概念に興味があったり、その言葉に苦しめられた、あるいは未だ見ぬ自分の潜在的な能力を発掘したいと考えるなら、その認識を少しだけ変化させられるかも知れない。
このマガジンを読めば、才能というものが何なのか、そして、それに似た能力を育むにはどのようにすれば良いかがわかるだろう。
【才能とは、つまり何を指すのか】
以前から「才能」について書いておこうと考えていたのだが、あまりにも長くなると想像し避けてきた。
「才能」や「悟り」のような「抽象的な概念」を、「具体的な言葉」で表すのはとても難しい。
かと言って、「得体の知れないものです」と書くわけにもいかない。
才能について説明されるコンテンツの中には、才能について説明すると謳っておいて、「何事も、頑張れば感動できるのです!」みたいなオチで、大衆を懐柔しようとする表現もある。しかし、このような論調が意外に受けた時代があるようだ。
「あなたは変わらず、そのままでいいんですよ。なぜなら、もうずっと頑張ってきたのですから。」と気づきを与え、理解を示してくる。
読者に、「なるほど。自分はこのままでいいのか!」と思わせることによって、「金が搾取できる信者」を作り出しているのだ。
人々は本来「知りたい」のではなく、「救われたい」。そこを利用する。
このシステムをうまく洗練させているのが「宗教」で、他には「国家」「教育」「つきのまど」などがある。覚えておこう。
いづれにしても、このような混乱を招いてしまうこと自体、「才能」が得体の知れないものであることを物語っている。
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才能について、書けることを網羅していきます。頻度は不定期ですが、5回以内で終わるかも。才能に興味がある人、そういう能力に自信が無い人、どう…
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