見出し画像

最近note書いてなくね?と気づいたら、5月中は予約投稿されていた

なんでこんなことを忘れるのだ?ということを、しょっちゅう忘れる。それが、僕だ。
題にもある通り、「あれ?最近、note書いてなくね?」と不意に思い出し夜中に冷や汗をかいたのだが、5月の投稿はすでに予約されていることをすっかり忘れていた。
なんかもう色々とおかしいことになっている。

まず、しっかりと書きだめ、予約投稿をしていた自分に感謝だ。
もしそうでなければ、今の今まで全く書いていなかったことになる。僕の読者の人は寛大な人が多そうだから、怒りこそしないものの、「こいつ、いよいよ死んだのか?」と心配されたことだろう。もし死んでいたらDMも読めないので、何も更新されなくなったら、その時は本当に死んだと思ってほしい。
人間いつ死ぬかわからない。いつも会える人、また会えるだろう人がたくさん居ると思うけど、それはただの希望的観測である。明日も生きている確率は高そうだが、一週間後となるとちょっとわからない。
無理やり意味ありげな話を放り込んだが、活動から足を洗う伏線では無い。久しぶりに何を書こうかと、考えているのだ。

2日に1度の投稿だが、その内容はリアルタイムではない。実際には、投稿された日よりも少しだけ前に書いたものだ。これを書いているのは5月21日。
昨夜未明、唐突に「あれ。そういえば最近、note書いてないけど、誰が投稿してるんだ?」という感覚に襲われた。
その後すぐに、「予約投稿しているよな」と思い返し安堵。「確か5月いっぱいはその予定だよな」と確認すると、なんと5月29日の分が抜けていた。ここで気づいてよかったなと思い、今その分を書いているというわけだ。

今まで数ヶ月、これを投稿してきた。すっかり習慣になっているはずだが、それでも感覚としては忘れている時があるのだから、恐ろしい。頭から、すっかり抜け落ちている。
商品としての価値があるのかも微妙なのに、忘れているなんて「性根が腐っているのではないか?」と心配になる。だから、いつも自分に対して油断ができない。
思えば、そんな人生だったように思う。とにかく、油断をすると何をやらかすかわからない。だから、いつもスケジュール通りに物事を進める。そして、スケジュールをそもそも埋めない。とにかく、余裕が大切だ。
ただでさえ、人よりハンデを抱えた人生なのに、遊んでいる暇はないという意識で生きてきた。
友達も多いわけではないけれど、意図的にそれを避けてきた。油断して遊んでなんかいると、どんどん後退していく。「人と比べるな」といつも言っている僕だが、僕自身は人と比べることが重要だと考えている。

ここから先は

790字
10分もかからず読める。つまり、なんか読書した気になれます。「気になれる」ということが大切。この世の全ては「錯覚」ですからね。

最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?