LGBTQ問題から、平等について考えてみよう。
何もかもそうだが、言葉にしてしまうと「そんなものは無い」となる。
例えば、「平等」という言葉もそうだ。平等である必要はあるが、実際に、そうはならないから「理想」として掲げることが重要なのだ。
それに少しでも近づける、ということが必要だということ。
皆にとって平等と言い始めると、それこそまず「資本主義」を完全に捨てて、稼ぎも同じにしなければならない。まるで、社会主義国家のような有様になる。
しかし、社会主義にも支配層がいるので、決して平等では無い。まぁ、どんな主義でもそこは同じだろう。
平等という言葉が、ある場合において「改善の意味」で使われることが、多い。
今回のテーマでいうと、男女の差別、性別による差別など、それによる「不快」や「面倒さ」を解消するために、「平等ではなくてはならない」と叫ばれるわけだ。これは改善の方向性。
ただ、平等は「負担」にも繋がるし、ある立場にいる人にとっては「譲歩」を意味する。誰かに負担がかかる、誰かが譲る必要がある、ということだ。
例えば、兵役のある国なら、精神的には女性、という人は前線で戦う必要は無いが、精神的に男性という人は、前線に出ていく可能性が高くなる。
しかし、肉体は女性なのだから、フィジカルの面で体力には大きく差が出てくる。
およそ20キロもの物資や武器を携行しながら匍匐をしたり、何キロも歩いたりというのが基本になってくる。そうなると、これはそのまま軍事力に直結した問題になる。
平等は、本当に良いものだろうか。
また、これは男女を分ける差別問題にも繋がる。
男と女を平等にしろ、という場合、この問題についても平等となるわけだから、かなりの覚悟を持っていなければ「いい加減な不平等」にしかならない。
僕は、女性にも「格闘技」に触れる機会が増えれば良いな、と考えている。学校の授業などにキックボクシングや空手、合気道、剣術などを取り込んで、肉体的な強さ、暴力に対する知識や危機管理の方法などに、触れる機会を増やすべきだと思う。
女性を含めた集団と、この手の議論をすることが今まで何度かあったが、その分野に対する女性の意見は、はっきり言ってかなり稚拙なものだった。
暴力に対する防衛や、自分自身の肉体に対する危機管理の概念など、「非常に頭でっかち」な意見が多い傾向にある。その印象が、とにかく強い。
例えば、「男性に襲われそうになっても、殴ればいい」というようなことを平気で言う女性がいるが、まず僕は、女性に殴られても痛くはない。というか、まず殴られない。もっと言えば、
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