注視しても、見えないもの。無関心の怖さ。
いじめや虐待のポスターが、役所や教育機関に貼られている。
少し前にも、いじめのポスターが話題になっていた。
そのポスターには、一人の女性のイラストが描かれている。女性は微笑んではいるのだが、よく見ると顔や洋服に文字がびっしりと書かれている。
僕はこういう趣旨のポスターが昔から好きでは無いので、ひと目見ただけなのだが、おそらくこの微笑んでいる女性の心の声や、誹謗中傷が書かれていたと思う。
微笑んでいるように見えても、あるいは、「何もないよ。大丈夫だよ。」と聞いても、関心を持って観察してみましょう、そこから色々なメッセージが読み取れますよ、というメッセージを伝えたいのだろうか。そこに描かれている女性は、いじめ被害者だということだ。
イラストの微笑みは、「平気だという強がり」だったり、「隠した悲しみ」とか、そんな事情を表している。いじめ等の問題は、告白すればさらに過激化するという恐れもあったりする。「当事者は言えない」ということを大勢に理解してもらいたい、という発想だろう。
本当に誰かを助けたい、いじめは良くないと考えている人がいるなら、本人が大丈夫だと言っても「根気強くその動向を見張る」という姿勢が必要だ。
いじめや虐待というのは、その個人をよく観察すれば、よほどのことが無い限り、誰でも見抜けると思う。
たとえ、迷惑だと思われても押し付けるくらいの善意が無ければ、いじめや虐待から誰かを救うなんてことはできない。救うというと語弊があるが、事態を変化させることさえできないのだ。
「そもそも誰も誰かを本当に助けたいとか、無くしたいなんて思ってないのだな。」と、僕は昔から思っている。
わざわざこのようなポスターまで作って、「もっと関心を持とう」とか、「事件や自殺などが起きる前に、助けてあげよう」と促しているのは、そのためだ。
こういう類の物を見て、改心した人を見たことがない。単に、僕に知り合いが少ないからだろうか。
このポスターがどうも多くの反響を生んでいて、好評だったそう。
僕としては、「作った人は、有名になりたかったのだろうな」という感想を持った。何かを多くの人に知らせようとする行為自体、有名になりたい感情とほぼイコールだろう。
デザインを募集するコンテストが開催されているのだろうが、そういうものに応募をするということ自体、何か変な感情を覚えてしまう僕である。もちろん、悪いと言っているのではない。
虐待にせよ、殺人にせよ、いじめにせよ、この手のポスターはたくさんある。こういうものを道徳の授業などで子供に作らせる神経は、凄いなと思う。ウクライナ千羽鶴問題に近しいものを感じる。
僕自身は、こういう標語などで感銘を受けたことは一度も無いし、それで社会が少しでも変わったとは思わない。
こういう物を見て、「わあ、素敵なデザイン」と思う人もいるのだろうが、それで何か変わるだろうか?
そもそも、こういう思想が強い広告を見た人みんなが「これは、良いものだ」と思えるなら、なぜ理不尽な事故や事件が起きるのか。
ポスター1枚で簡潔に表すことができる「真理」があるなら、そんな悲劇は起こらないはずだろう。
その主張や行為がいくら正しくとも、理不尽なことは起きる。
だから、こういう思想を広める活動があるんじゃないか、と言われればそれまでなのだが、なんだか「わかった気」になった人が増えて、結局それで終わりなんじゃないか、と思う。
ポスターや標語のような啓蒙活動も、無駄ではないかもしれない。
しかし、人命が関わっている、早急にこれを解決すべきだと考えるなら、どのようにすれば「実際に理不尽を回避できるか」と、具体的に表すべきだ。
例えば、文科省、法律、行政、地方自治体、教育委員会、育成協、教育に関連する組織の存在をもっと強調する。
「加害者へのペナルティ」は、僕たち市民が与えるものではない。
悲劇の最中にいる人物を現実的に助けられるのも、市民ではない。
罰を与えるのも、救済措置ができるのも、強い執行能力がある機関にしか不可能であり、これを市民が肩代わりする、制圧できる、という考え自体がおかしい。いかにも「漫画的」で、ズレているなと僕は思う。
もちろん、「体制にその能力が無いから、苦しんでいる人がいるのではないか」「政治なんて、何の意味もない」という意見、そう思いたい気持ちもわからないでもない。
でも、普通なら「事件」が起こったらまず警察だろう。虐待もいじめも、言うなれば事件である。
一般人がそれに介入するっていう感覚自体、もうちょっと見直した方が良いのかも知れない。
これに特化した組織を編成する。法律もそれに伴って変えていく。国民は選挙を通して、良い政治家を作り上げる。
色々な意見があって良い。
僕自身、いじめや虐待に遭っている時に、こういうポスターを見かけたことは何度もある。
道徳の授業でも話題になった。その結果、周囲への影響は皆無だったと感じる。生徒たちが感心したように見えても、休み時間になれば即座に忘却されたはずだ。
いちいち人の家庭や、問題に口出しをして、他人のことを助けようとする人なんて居るはずがない。
手を出したところで、その本人も被害に遭っている人も、酷い目に遭うだろう。
実は、僕は人の家庭に口出しをしたことがある。家出などを手伝ったこともある。その結果、非常に面倒な目に遭った。そんな経験が何度かあるので、傍観者の気持ちもわかるのだ。見て見ぬふりをするのは、たぶん悪いことではない。
皆が、そのように自分の身を守れたら良いな、とただ思うばかりである。
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つきのまどの【つれづれゴニョゴニョ】
最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…
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