山梨の女児行方不明。まだ生きていると期待する家族。
(続、話題作りに必死な茨城の公園の写真)
あまり触れて良い問題ではないが、有料マガジンなので触れておく。(購読者が少ないので、こういう話題に触れられる。)
少女が行方不明になったのは2019年で、このニュースは当時けっこう話題になった。大々的に取り上げられていたと思う。
日本でも稀に、「実は殺したのは親でした」という事件が起こるので、この少女の母親がバッシングにあっていたのも胸が痛い出来事だ。
自分の子供を殺しておいて「心配してます。早く帰ってきてほしいです。」と泣きながらテレビのインタビューに答える母親が、実際に居る。
そんな事件のせいか、この事故が起きた当時も、酷い憶測を元に母親を追い詰める誹謗中傷があとを絶たなかったそうだ。
仮に、実際に殺していたとしても、まだ憶測の時点で迷惑行為ができる人間も相当ヤバい。
(事故と書いたが、これも憶測です。ただ、ちょっと呼び用が無いので仮に事故と言わせていただきます。)
それにしても、3年も小学校低学年の女児が行方不明になっていて、まだ生きていると信じている家族が不憫でならない。
家族と言っても、父親と姉が具体的にどんな意見を持っているのかは、あまりわからないが。それはそうだ。働かなければならないし、学校にも行かなくてはならないのだ。メディアに露出するわけにはいかないだろう。
母親だって、できるならそっとしておいてほしいはずだ。かといって、何もせずジッとしているのも「生きているかも知れない娘」に対する罪悪感があるのではないか。
しかし、Twitterなどを通じて目撃証言などを集める行為には、やはりリスクがある。
人間は知らない人に対してなら平気で暴言を吐いたりできるし、逆に、ボランティア精神に則って自分の善意を満たそうと群がってもくる。(すごい嫌な言い方だが、いい加減みんなも慣れてきたか。申し訳ない。)
もちろん、世界中からこういう悲しい出来事がなくなってくれたら良いと思う。
ただ、誰のせいと言うわけではないが、こういう事故が起きないようケアをするのは、大人なら比較的簡単だったはずだ。「小さな子供を一人にさせない」、それだけだ。
これが犬や猫なら、まず一人にさせなかっただろう。そういう意味では、人間は潜在的に「高い知性を持っている」と自覚しているのかも知れない。これくらいなら大丈夫だろう、と考えてしまうのだ。その気持ちもわかるから、それを責めるわけではない。そういう感情とは別に、事実を述べているだけだ。
僕のように、なんとなく生き延びることができる子供もいるし。
起きてしまったことは仕方がない。
とはいえ、3年もの間、「自分の子供が生きている」と信じ続けるのもすごいなと感じる。僕なら、少なくとも1ヶ月で「もうダメだろうな」と考えているところだ。
冷たい考え方かも知れないが、自分の子供だからと言って都合よく、「生き延びているだろう」と考えない。もしこれが人の子なら、そこまで希望的な観測をできないのではないか。
人生えてして、自分のことについて楽観的に考えるのだ。
子供が山で遭難した時、何も飲まず食わずで1ヶ月生きる、ということさえ厳しいはずだ。
もちろん、生存を希望する感情は理解できる。そう思いたいのは当たり前だ。しかし、事実として、「どのように生き残っているのか」と考えると、やはり超自然的な力を想像する以外に難しい。
僕も一応は科学者の端くれなので、「超自然的な現象」をイメージすること自体、とても下手くそだ。それがどのようなものか、全く想像がつかない。そういうものを見たことがないし、見たとしてもそれを僕が「超自然的」だと捉えるとも限らない。
だから、やはり自分の子供は山で滑落した、あるいは他の事故で亡くなっている、と考えるだろう。その方が自然だ。(自然だからといって、どうと言うわけではないが。)
超自然的な力がある、あるいは持っている人がいるなら、今まさに現れて行方不明の女児がどうなったのか、家族に対して一応の決着をつけてあげてほしい。
母親がTwitterなどを利用して、一部のどうしようもない人間から追い詰められたこと自体は、ネット社会の弊害ではない。その陰湿さは、人間社会に元々あったものだ。
そして、超自然的な能力を持った人を探すには、これほど効率の良いツールは無い。しかし、なぜかネット社会になって、この類の人物が減ったように見える。なぜだろう。
そういう人が現れることを、本当に願っている。
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つきのまどの【つれづれゴニョゴニョ】
最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…
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