心の窓を開け、風通しを良くする。そんな哲学を、家事から学ぼう。
前回、掃除について少しだけ書いた。その中で、知らぬ間に溜まっている埃の話をした。
「知らぬ間に」というのは、気付かぬうちにとほぼ同じ意味である。
人生の中で、気づかぬうちに過ぎ去ってしまっていることが、どれだけあるだろう。
一人暮らしをした高校1年生のころ、初めて住んだ家はワンルームで、キッチンもその室内にあった。
玄関を入って廊下に小さなキッチンがあり、その向かいにはトイレや風呂があって、廊下の突き当たりにドアがあり、8畳くらいの部屋がある、という間取りが、学生や社会人の簡素かつ平均的な賃貸だと思うが、僕が住んでいたマンションはそれよりもさらに小さい。
玄関を入ったら、もうそこがワンルームで、その室内にキッチンがあり、残った三方の壁の一面に、トイレや風呂のドアがある。考えられうる中で、最も簡素な部屋だろう。廊下も何もない。
いかにも訳ありの人物が住むような具合で、まさしく超訳ありの貧乏高校生におあつらえ向きのマンションであった。
そのマンションは保証人も要らず、敷金礼金も要らず、家賃は確か38000円くらいだった。水道代は込み。
そんな場所で、初めて一人暮らしをしたのだが、うまく生活をすることができなかった。
何より、丁寧な暮らしにならない。
そもそも、そんな美意識も無かったし、どうすることで生活の水準が保てるのか、そもそも保とうと思っているのか、それすらわからなかった。その時期は、今よりも一層に自分のことがわからなかったのだ。
実家でも、できる限りのことはしてきたけど、あそこでは自由に行動することもできなかったし、目立った家事などをやると親の目につくので、それはそれで問題になる。
ひどい状況で生きていくしかなかったから、まるで動物に育てられた「もののけ姫」のように、反文化的な生活を強いられていた。
そんな自分が、一人暮らしを始めて自由になったところで、生活を改善するような意識もなく、まず「ものを片付ける」という感覚自体がほとんどないことに気づいた。
同様に、掃除をするという感覚もほとんどなかった。
その後、複数回の引っ越しを経るたびに、住む家は大きくなっていったわけだが、そこでやっと気がついたのは、人間はある程度の広さの家に住まないと、片付けをしたり、掃除をしたりする意欲が湧かない、ということだった。
これは、単純に僕が怠惰なだけだが、家が狭すぎて整理整頓をするにも身動きが取れない。掃除をするために肉体を動かす空間さえ無い、という感じか。そうすると、家に対する愛着も湧かない。良くしようとも思えない。
その家の中で最も大きい物体は、何を隠そうこの自分なのだが、それがあるだけで、部屋がかなり狭くなる。
当時、僕は布団を床に敷いて寝ていた。
そして、アルバイトやその他諸々のことを始めると、それなりに欲しい物、欲求も出てくる。でも、それらを置く場所が無い。
寝る場所は絶対に確保しておかなければならないから、そのスペースは空けておく必要がある。
しかし、生まれてきてから、あれだけのドメスティックな圧政の中を生きてきた僕は、自分のやりたいことや、欲しいものが出てくると、それを我慢できなかった。
だから、部屋が狭いからと言って、何も買わないというわけにはいかない。
東京の実家と近所の図書館の往復生活の中で、僕の中には色々な知識が溜まっていったけど、一人暮らしをしたらまず「ピアノ」をやりたいと考えていた。それまでの環境では、楽器など夢のまた夢だから、一人になった方がまだ可能性はある。
そして、かなり無理をして、10万円くらいの電子ピアノを買った。
その結果、さらに部屋が狭くなった。
そうすると、余計に片付けづらくなり、忙しいのもあって片付ける時間も減った。
布団などは敷きっぱなしになる時間も長く、勉強をするスペースもほとんど確保できなかった。
安物のアンティーク風のデスクを買ったが、長時間座ることができる椅子も無いし、参考書などを何冊も展開するような大きさでもない。
そこで、近所の羽曳野市立の中央図書館という場所へ行き、勉強をすることになった。広いし、綺麗だし、勉強をしている学生は常にいるから、いくらでもいることができた。当時、確か夜の8時まで開いていたと思う。
家には寝るために帰るような生活で、さらに部屋に対する管理は滞ることになった。
ところがどっこい、時間があるときに「気分転換に掃除でもするか」と思い立ち、布団を片付けようとした時に、驚いた。
なんと、換気も悪い部屋だというのもあって、敷きっぱなしの布団にカビが生えていたのである。
僕は、怠けるくせにこういう不潔なのは非常に嫌なので、即座にその布団を捨てることになった。おそらく、ただの無知な馬鹿だったのだと思う。
これはただの言い訳だが、布団をしまう場所もないし、干す場所もない。
それでも、生活をしっかりと送ることができる人は、できる限りの範囲で畳んだり、風を通したりするのだろうけど、そんなことに時間を使っていられるか!という状況だったので、そういう小さな嫌なことがあるたびに、めちゃくちゃ気分が悪かった。自業自得である。
これを解決するために、安いスノコのベッドを買おうと思い立ち、それを導入。そうすると、さらに部屋は狭くなる。
ベッドに座るか、それ以外はほとんど自由に動けるスペースは無かった。
狭くなる代わりに清潔にはなったわけだから、これも前回までに書いてきたような「2つに分けられる選択」と言えるだろう。一方を取れば、もう一方を失う。誰にでも周知の、真理である。
部屋も、人の精神も、風を通したり、ある程度の清潔を保たないと、その領域のエントロピが増大していく。
「風を通す」という概念も、家事で学べるものだろう。
大阪にいる時は、主婦と話をすることが多かったから、いつの間にかそういう表現を知っていたけど、「風通しが悪い状態」というのは、
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つきのまどの【つれづれゴニョゴニョ】
最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…
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