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たまに会う人に「おかげさまで」と言われても困る。スキゾイドのひねくれた所感。

挨拶代わりに「おかげさまで何不自由なく過ごさせていただいております」みたいなことを言う人が多い。仕事でもプライベートでも、あまり会ってない人と話すときは、まずそこから会話に入ったりする。
ただ、これを聞くたびに思うのが、「僕は別に何もしていませんけど」ということだ。

駅や百貨店のトイレなどに行くと、「いつも綺麗に使っていただいで、ありがとうございます」と書いている。あれを見た時と似た感覚を覚える。
「綺麗につ、か、え、よ?」という圧が感じられて、卑しい。
もちろん、公共の場において下品な行いをする人間の方が社会に教育されているわけだ。そういう意味では、公共の場を平気で汚したりする人間に対しては非常に優しいとは思う。
ただ、この理屈で考えると、「お世話になっております」は「もっと世話し、ろ、よ」になるか。もしそうなら、非常に困る。確かに僕は、気の利いた言葉も社交辞令も言えない。嘘でも飲み会を主催したりもしない。

もちろん、本当にお世話をしているなら良い。
仕事の取引先などは顔合わせの機会も多いし、お互いが持ちつ持たれつの関係なのだから、そういう発言をするのも間違ってはいない気がする。
ただ、古い商売人がよく「お客さまは神様です」と言うが、客は客でサービスを買って満足を得ているのだから、客と店は対等ではないかと思う。僕はその精神でバイトをしていたので、よく本社の社員などに説教されたものだ。

それにしても、こういう思ってもない言葉をよく言えるものだなと思う。そもそも、毎日会っている相手には絶対に言わない。久しぶりだから一応言っておこうみたいなことなのだろう。
でも、久しぶりなら尚更「世話」にはなっていないので、「完全に嘘じゃん」ということになる。むしろ、毎日会っている家族や知人の方がよっぽどお世話になっている。違うだろうか?
しかし、毎日会っている相手に感謝をすることはほとんど無い。なんて不思議なことだろう。
こういう虚構で成り立っているのが、人間の社会である。そんなことばかりやっているから、ホームでもアウェーでも居心地が悪いのだ。いい加減、気づいたらどうか。

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10分もかからず読める。つまり、なんか読書した気になれます。「気になれる」ということが大切。この世の全ては「錯覚」ですからね。

最低でも、月の半分、つまり「2日に1回」更新します。これはこちらの問題ですが、それくらいのゆとりがあった方が、いろいろ良いかと。 内容とし…

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