応募した作品が落選したので、公開します
「噂」をテーマにしたショート作品です。
落選したときのなんとも言えない絶望感には、名前をつけようがないですね。
スキをもらえるごとに、ちょっと元気になります。
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タイトル「田所さん」
とある住宅街にある空き家に、夫婦と三歳になる息子の三人家族が引っ越してきた。近隣の住人たちは愛想が良くて気の利く、いい人ばかりのようだった。
一家が引っ越してきて一ヶ月がたった頃。ポストに『子供の声がうるさい!』と、紙を埋め尽くすほど何度も書き殴られた手紙が入っていた。恐怖で震える妻からそれを受け取った夫はすぐに菓子折を準備して、両隣の家に謝罪をしに行った。だが、どちらもそんな手紙は入れていないと言うばかりだった。
首をひねる夫に、「きっと『田所さん』よ」と、対応してくれた夫人が一言。
「田所さん?」
「ほら、お宅のお向かいの」
「では、行ってみます」
「ああ! 危ないわよ! あの人、何するか分かったもんじゃないんだから! ここらに住んでる人はみんなあの人の被害に遭ってるのよ! この前だってお隣さんがまた鉢植え割られたって言ってたわ! 全部『田所さん』のしわざだって、みんな噂してるのよ!」
血気迫る夫人の物言いに気圧されて、夫は「はあ」と答えることしかできなかった。
犯人が分からないまま時間は過ぎ、夫は犯人候補に上がった『田所さん』がどうにも気になった。引っ越しの挨拶をしに行ったときは留守だったので、その姿は分からない。『田所さん』の家は朝見ても夜見てもカーテンがひかれていて、玄関先に電気がついているのを一度も見たことがないし、そもそも名札すら掲げられていない。妻は、「色々悪いことしてたって噂だよ。だからコソコソ逃げてきたって。報復されるのが怖くて、みんな何も言えないんだって」と、小声で言った。
ある日、一家の玄関前に生ゴミがばら撒かれていた。どう見ても意図的なそれを発見した妻は相当なショックを受け、玄関先で悲鳴を上げてしゃがみこんでしまった。
「きっと『田所さん』よ! 前にうちもやられたの!」
悲鳴を聞いて駆け付けた隣家の夫人はそう言うと、率先して片付けを手伝い、そのまま生ゴミを引き取っていった。残された夫はその姿を見送ってから、うわさの『田所さん』の家に向かった。
インターフォンを押してみるが反応がない。ドアを叩いてみるが、やはり反応がない。留守のようだと夫は諦めて、一度家に帰った。
「警察に電話してみよう」
「ダメよ! 何されるか分からないじゃない! あの子だって危険に晒すことになるのよ?」
ソファでおとなしくしていた妻は大声を出すと、ふらりとソファの上に逆戻りした。夫は少し考えてから、何も言わずに家を出た。
着いた先は、今住んでいる家を探す際に世話になった不動産屋である。丁度、担当だった営業マンと目が合うと、彼は笑顔で挨拶をした。
「どうですか? その後」
「ええ、まあ。あの、ちょっとお聞きしたいことがあって」
「はいはい、なんでしょうか?」
「うちの真向かいに住む、『田所さん』のことなんですが」
営業マンは数秒固まって、首を捻る。
「『田所さん』? ちょっと待ってくださいね」
営業マンは奥にある棚から分厚いファイルを引き出してきて開き、書類の文字をなぞる。
「おかしいですね。そこ、空き家ですよ」
「え?」
「売りにはだされてないんで、そのままなんです。空き家になって結構たちますよ。前に住んでた人も『田所さん』って名前じゃないようですし……何かありました?」
「いえ、僕の勘違いだったみたいです。失礼しました」
夫は適当に愛想笑いを浮かべて不動産屋を出たが、すぐに顔から笑みが消えた。
近隣に住む住人は何かトラブルを見つけると、条件反射のように『田所さん』の名前を出してくる。だが、あれほど怒っておきながら誰も警察に相談していないのは明らかに変だ。もし、あの手厚い手助けが、何か意図のある行動だとしたら。もし、噂だけで一人の人間を生み出し、その人間に自分達の罪をなすりつけているとしたら。夫は背筋が震えた。
その後、一家は早急に引っ越した。真実は分からないが、未だにあの地区に住む人たちは『田所さん』の被害に苦しんでいるのかもしれない。
了