神様に同情するよ
誰かの正しき意見を
また別の誰かの正しさで殴るような場面を
1日に何度もみる。
みんな肯定するのが心底下手くそだ。
この話はきっとどこまでいっても尽きない。
今この瞬間に私が変わるしかない問題。
否定の否定
私は「誰かを否定する人」を否定している。そして、私が他人を否定している事実を受け入れられずに、その事実を否定している。
自分がそんな愚かな循環する(否定が否定を産む)システムの片棒を担いでいるだなんて思いたくないのだ。
誰でも自分の悪い部分や、醜い部分は自分自身が一番良く知っていると言うのに、馬鹿にしている人たちとは切り離して考えるものだ。
じゃあどうすればいいのか💡
まずは「否定を否定している」事実を受け入れること。
それから肯定できない未熟な私の意見は無視してはいけない。いつだって真剣に誠実に聞くべき意見👂🏻
→どうして肯定できなかった?
🧚🏻♂️「まだ負けていない。私は認めないぞ!」と言う思いが絡まり詰まっている。
→どうしたら絡まり詰まっているところを清らかに出来る?
🧚🏻♂️自ら負けに行くこと。
→負けました。完敗しました。
オールYESで進めるはずの道で、NOが出たら、YESに行けずに詰まっている部分の声を聞く。それは自分にとって大切な意見。
「否定を否定している」を否定していたところから、肯定している私に変わった。
この変化が少しずつ広がって肯定の世界に生まれ変わるはず。まずは私が私のことを肯定していく。そこからだね。
今、生まれ変わりました。
嗚呼、神よ。
私は人一人の中に、神仏は必ず宿っていると考えている。
厳密に言うとその人自身というか、二人三脚のようなもの。
友人は「大いなる私と、小さい私」と言う風に喩えている。
私の神は、私の神であり
貴方の神は、貴方の神だよ
みたいな感じ。
なので私の中の神様はだいぶ粘り強い。
正直そこまで神や仏なんて信じている方じゃない。
でも、私のことは信じてる。
ただそれだけのこと。
こんな捻くれ者の私を育ててるなんて、
神様やるやん。
まったくもう、同情しちゃうぜ。
お互い苦労するな。
マジ私のこと幸せにしてやろうぜ🥂
って気持ち。
嗚呼、神よ。
今日もありがとう