はみ出し者

先日、好きなYouTube chで
学校の始まりとは産業革命当時、工員を作る為の仕組みであるという事を知った。

何だか救われた気がした。
というか腑に落ちた。

私は40になろうとするおっさんであるし
今学生ではないので関係のない話ではあるが、

私は学生時代、学校というものに対し物凄く違和感を覚えていたし馴染めなかった。

だからと言って不登校では無くて

朝は寝ていて昼から大幅な遅刻をし学校に行く。

もしくは朝から行ったとしても

途中で帰り友達と遊びに行くというような

自由気ままな中学高校時代を過ごした。

その頃は自分達が楽しかったらそれで良かった。

はっきり言って真面目に学生時代を過ごさなかった事に何ら後悔もないのであるが、

学校が工員を作る為のものだとわかって

納得する部分が大きい。

私は工員、つまり皆と同じような事をしたいと思った事は一度もなかったからだ。

ある意味で洗脳が効かない人間というか、
はみ出し者であって、製品にならない穴の空いたセーターなのだ。

穴の空いたセーターは不良品として、
それらを集められ破棄されるか安くで売られる。

それでいいのだ。安くで売られて着て貰えれば。工場で破棄されてもいい。

皆が皆、同じ形の同じ色のセーターになる必要はない。

はみ出し者ははみ出し者としての生き方があるし、現実に今私は幸せだ。

はみ出し者が周りに合わそうとするからしんどいだけの話であって、

生きるとは自分というものを知るところからはじまる

と吉田拓郎も昔歌ってたじゃないか

だから、あなたもこっちにおいでませ。

ようこそ、はみ出し者の世界へ(笑)


この駄文のまとめとしては

私は学生時代、皆が皆同じ事をする

学校教育に違和感を覚え自分が好きなように

過ごしていたが、

このあいだ見たYouTubeで学校とは産業革命において扱いやすい工員を教育する為の機関だと知り、やけに納得した。

だからもし今学校において悩みを持っていたり
違和感がある学生さんがこの投稿をお読みならば、それはそれで正解ですといいたい。

全然問題ないのである。

世の中は優等生だけが生きている訳ではない。

はみ出した落ちこぼれと呼ばれる人間は

その人なりに胸を張り(別に張らなくてもいい)生きていけばいいだけだ。

その受け皿があるというのも世の中なのだと信じたい。

少なくとも私は落ちこぼれだとは思わない。




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