どんな社会を築きたいか
「生き方」の核心に迫る問いですね。
人間として生を授かった1人1人は皆、社会の中で暮らし、生きています。
社会という広い枠組みに囲われた中で、人と共存し、
どんな風に生きていきたいか?
こんな風に生きていけたら最高だなぁ、、は
漠然と誰もが抱いているのではないかと思います。
人間の本能的な欲求でしょう。
少しでもより良い生き方をしようと考える動物は人間だけではないでしょうか?
そう考えると、「人生」という言葉は、他の動物の「生」よりもちょっとだけ重みがあるように感じます。
人間だけ特別ということではないですが、
人間は「生」の尊さをより深く知っているのではないか
そんなことを思います。
そんな、一人一人の願う生き方が叶えられる環境であることが、「社会の本来のあり方」ではないか?
ふと、そんなことを思い、言語化したくなりました。
人間が人生を豊かにしていくために、
2つの大きな要素が必要ではないかと考えます。
1つは、その人自身のBeing(あり方)とDoing(行動)。
描いた理想や夢に向かって進んでいける力強さ。
2つめは、願う生き方が叶えられやすい環境。
全ての人の目線に立っても、整えられている社会。
願ってる生き方を目指して、自分を律し、夢に向かって進んでいけるように自分なりに努力できる人間になっていくこと。
それに加えて、そもそも夢に向かって進んでいきやすいような環境であること。
環境を言い訳にせずともやり切ってしまえる人もいますが、(そういう方には心の底からリスペクト)
少なからず人は環境に影響を受け、
より良い環境であればあるほど、人は可能性を広げていけるのではないかと思うのです。
(ここでの「より良い」はまだ具現化できてません)
だから「より良い社会にしていこう」と一生懸命に動いてる方がたくさんいらっしゃるのではないか。
なんだか、ちょびっと高い視座を得た感じです。
だから、
どんな生き方をしたいか?を考えていく上で、
どんな社会にしていきたいか?を考えることがリンクするんだなぁと気づきました。
とっても当たり前の話なんですけどね。(笑)
最近よく思うこと。
今の日本の社会環境は、生きやすいように変化してきてるようで、生きづらくなっているんじゃないか?
たまたま見かけた奈良県の男子大学生が電車に跳ねられ死亡したというニュース。
原因は自殺とみられる、とのこと。
その方の気持ちや状況を詳しく知ることは不可能ですが
こういったニュースから考えさせられ始めたり、
突き動かされるような心の動きがあります。
管理統制から自主自律へ。
物を作って豊かになろうとした時代はとうに過ぎ、
物心両面の豊かさを大切にする風潮がコロナ禍になり、より一層加速しました。
ある意味、自分の心が十分に満たされるような生き方を模索していく中で、
「葛藤」
がみんなに巻き起こるのではないか。
葛藤を繰り返すことで強くなっていくでしょうが、
葛藤に1人で向き合い、解決しようとすると、
これはとんでもなくしんどいと思います。
「自主自立」が善とされ、求められてる風潮。
たしかに、それは素晴らしいことだし、人間として素晴らしい状態だと思います。
しかし、そんな風潮にうまくフィットできない人は一定数いるのではないか。
「自分らしく生きなきゃいけない」になると、
逆に「流される人生」「だれかに頼って生きていく人生」に懐疑的になる。
それはそれで、とても苦しさが溢れるのではないか。
「1人でできないなら、みんなでやろうよ」
って気軽に助け合える感じが溢れてたらいいなぁ~。
今、何らかの要因で自分の生き方を見失っている人に、
みんなが「自分が自分が」と自己主張したり、
目先の欲求からのエゴで動き出すと
「自分らしさ」を探求する人の不安を煽ってしまいかねないのではないか。
孤独に苛まれる人が1人でも生まれるくらいなら、
ちょっとくらい、いい加減でいい。
1人が伸び伸び生きやすい社会よりも、
1人でも苦しむ人が少ない社会がいい。
全ての人にとって生きやすい、優しい社会。
みんなが人に対して、自然と心優しくなれる社会。
そんな環境づくりに注力していたいなぁ、って思います。
はい、
今日はこの辺で。
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