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コーヒーのリズム・お茶のリズム
美濃加茂茶舗のティーバッグで水出し緑茶を飲みながら作業していると自然とフロー状態に入ることができた。舌先に触れるぬるく溶け合うような感触と甘みが、思考を妨害することなく頭をクリアな状態に保ってくれるのだ。
ひと仕事始める前にコーヒーをケメックスにドリップしてマグカップになみなみと注ぐのが日課だ(日課というのは嘘だ、丁寧な暮らしなんてできないから、2日おきぐらいにしか朝のドリップはできていない)水のようにコーヒーを飲んでいると言いたいところだけれど。なんだろう。いつも傍にはペットボトルの水なんて別で買って置いている。
コーヒーは喉の乾きを癒してくれないのだ。寧ろ、なんだか覚醒した気持ちを抑えるために身体が水を欲してしまうのだ。黒い液体には確かに水分が含まれているのだけれど、アイスだろうがホットだろうが、口にするとどうしても身構えてしまわないだろうか?コーヒーのリズムに、身体が飲まれてしまうかのように。
バカ言え、コーヒーにリズムなんて内在するわけないのだから。とはいえ、カフェインに喉を乾かせる効能はあるようだ。利尿作用があるからといって栄養素や電解質まで溶けて流れていってしまうのは早計なようだが....
物質にリズムなんて内在しないのだから、僕の身体の方の受け止め方が異なるのだろう。なめらかに舌に触れるお茶の甘みの感触は、ブラックでもフルーツや黒糖や花の様に薫るコーヒーの甘みとは異なる甘みなのだろう。見立てでは、甘味成分が内在しているか、香りにより甘さを感じているだけなのかの違いがありそうだと読んでいるのだが、それはさておき。
小学校の頃の遠足や運動会、成長してからも天下の町中を歩き回る時やハイキングの道すがら、緑茶を飲む時間というのは、たしかに休息の時間なんだなんだけれど、断続的でなく、連続的な動作の合間の休息であることが多かったのだ。飲むことで、時間は一切断裂しない。なめらかな水分。
コーヒーはどうだろう。一息つく、もしくは友人と喋りながら飲むという事のが多いんじゃないだろうか。コーヒーが運んでくる時間は、恐らくは一旦の停止だ。せっかく停止するんだからと、丁寧にハンドドリップしたり、香りが抜群になるように温度に気を使ったりする(まあこれは、お茶でも気を使ったほうがいいのだけれど)
緑茶を水分補給の用途で常飲しない文化圏で、このリズムの感覚がどう変わるのかは少し気になっている。真逆に感じる人が居て当然だと思うし、その場合緑茶は、リフレッシュ用として大いに受容されるんだろうな。