葬列・弔い
共同体において弔いとは共同体から去る者のためにあるのではなく、共同体に残る者のためにある。
死の判断が難しかった時代に「仮死状態」から肉体が腐敗して白骨化するまでの様を見て魂がもう戻らないことを確認する「モガリ」が行われていたことを分析したのは折口信夫であったか。
歳を重ねた今となっては、人間の社会生活において儀式というものが必要であることは理論的にも実感としても理解しているものの、幼い頃はほとんど見ず知らずの人の通夜や告別式にどういう態度で望めばいいか疑問ではあった。ちょうど小学一年生くらいの頃だろうか、大阪のおじさんが亡くなった。そう聞いて各駅停車の新幹線で家族全員で喪服を着て向かう道すがら大阪のおじさんとやらがどういう人だったかに関して曖昧な回答ばかりを返す父の姿を見て、何のために行くのか釈然としなかった。いや、いまですら。
高校在学中に先生が亡くなった時もそうだ。僕も授業を受けていたあの先生が急死した。名のある方だったので、広い会場に多くの人が参列し、華美な仏花の上にいつも授業の始まりの時に見せていた、穏やかな表情が美しくプリントされて浮かんでいた。淡々としており、泣くこともなく、ただ並ぶ。その感覚が苦手だった。
礼をし、手を合わせる。私は列の中のただの、有象無象のひとりだった。並ぶ途中でほとんど会話もなく、会話をすればどうしても、先生の前でふざけて叱られた話などになってしまい、「笑って」しまう。その日以降はもう、先生の授業を受けることはないという漠然とした事実だけを、美しい表情を見て再確認する。
帰り道、一人になり、そのことを噛みしめる。泣くわけではなく、一人の人間が消えてしまった事実をただ。思い返したのだ。
大抵の出来合いの葬儀施設には、特定の商品のキャペーンを示す明るいトーンのポスターだけが色彩を持っている。いつだって葬儀の場自体は重苦しいもので、黒と白、時に灰色が支配する色彩だけで染め上げようという空気感と、声を出すなという空気感が漂っている。聞こえるのはお経の声だけだ。
亡くなった者の親族は参列者が来る度に軽く礼をする。そのたびに彼らは、何を確認するのだろう。何を持って、死者を送り、死者を想うのだろう。彼らも私も泣いていない、泣く契機を一筋でも掴むことができないくらい、参列者は素早く捌かれていく。なんとも機械的に。なんてあっさりしすぎているんだろう。なんて昔は思ったものだ。そしてそれが、やはり苦手だった。
想うということに囚われていた。儀式はやはり、想いを湧き上がらせる場ではなく、一人の同世代、一人の親、一人の子の親、一人の女、一人の妻、一人の人間が存在したことを明らかにするための装置なのだ。だから、参列者は想うことにとらわれる必要はなくて、ただ「存在したこと」を追認し、「存在が消えた後」も残されたものとの関係値を保ち続けることを追認すればいいだけなのだ。
誰でも利用できる葬儀施設で、あっさりと多くの参列者が捌かれることは、別におかしなことでもなんでもないかもしれない。それでも儀式として成立している。お悔やみは申し上げるけれど、感情を動かす時間はない。感情が動くのはむしろその後だ。帰ってから、しばらく立ってから、儀式を起点に、今度は死者の時間が動き始める。壮大なお悔やみの儀式をしなくとも、誰であれ一人の人間が共同体から消えてしまったことを追認できるようになっているのだから、ある意味で儀式の本質だけが残されているのだろう。
特に何も調べずに、モガリについてwikipediaを引くと
通夜は殯の風習の名残で、殯の期間が1日だけ、あるいは数日だけに短縮されたものとする説もある。沖縄でかつては広く行われ、現代でも一部の離島に残る風葬と洗骨の風習は、殯の一種の形態と考えられる。
とあったので、やはり通夜は簡素化されたモガリなのだと再確認した。
さて、お話はここまでで、これからは別の時間が流れる。一人の人が消えてしまったことを、私は覚えておかないといけない。その人とその人の家族の間に、確かな生活があったことを、思い返して、その家族の小さな表情の変化に、その人の影を見出して、想いを推し量って、感情が動くのを待たなければいけない。